朗読レッスンでよく「丁寧に読みすぎている」「もすこし速く」と指摘されます。

 

これって、無声音が使いこなせてないからかも、、、とふと思いいたりました。

 

10年以上も前に買った本を最初から読み返してみております。

 

「き・く・し・す・ち・つ・し・す」
の次に 

「k・s・t・h・f」

がある場合、

その「き・く・し・す・ち・つ・し・す」は無声化する。

 

ふむ。
初めてしっかりアタマにとどめました。

 

自分のペースで、空いた時間、いえ、気づいた時間に

つぶやいてみたりしております。

いつものように

無声音をふくむ言葉を紙に書いて、貼りだしております。

 

TV観たりしていると、

と、

あれ?無声音、言わはった

と気づく時が。

「き・く・し・す・ち・つ・し・す」以外の音が無声化しているとき(人)もあるような。

 

ぁ、それから、

 

つくし採り(tsukushitori) とか

祝福した(shukufukushita) とか

生きてきた(ikitekita) とか

無声化しそうな音が続く時はどーなるんやろう。。。。

こういうのは、慣習とか?時代とか?

 

と思い始めるともやもや。。。。。。(>_<)

関西人の私は、(関西人は関係ないか?)

あーもー、ちゃんと口開けて、

全部はっきり母音言うたほうがわかりやすいやん、聞く方も気持ちいいやん!

と、思ってしまいます。(^_^;)