筆者が知っている限りでは、1935年出版の《呉氏太極拳》(馬岳梁、陳振民著)は初めて呉式太極拳の拳式名称を世に公表した刊行物である。その年代は既に2代目の呉鑑泉氏が北京から上海へ下って1代目の全佑氏から受け継いだ太極拳を改編した後だった。「呉鑑泉氏の太極拳」と著書の中で称されたのもその為である。改編前と動作も名称も相違があるのである。また、楊式太極拳3代目の楊少候氏と呉鑑泉氏の両方から太極拳を学んだ呉鑑泉氏の長男の呉公儀氏が1937年香港へ渡り、その後シンガポール等東南アジアへ呉式太極拳を繰り広げた。動作も名称も更なる相違が生じるのは当然の結果である。つまり、同じく呉式太極拳と称されても時代と地域によって拳式名称が異なり、規範化されていないのである。従って、本編では、呉鑑泉氏が上海で伝授した呉式太極拳について公表刊行物に基づいてその拳式名称の相違点だけに焦点を絞りたい。
馬岳梁、陳振民著《呉氏太極拳》の後に1958年徐致一著《呉式太極拳》が出版された。あれから41年後の1999年、即ち馬岳梁氏が逝去した翌年に呉英華、馬岳梁著《正宗呉式太極拳》が誕生した。この3冊は呉鑑泉氏の太極拳(呉式太極拳南派とも呼ばれる)の標準教科書とも言えよう。
ところが、拳式名称については、3冊の内、2冊は馬岳梁氏の著書で一部を除き概ね同様であるが、徐致一氏の著書は下記数ヶ所において馬岳梁氏の著書と相違がある。呉鑑泉氏の最後の弟子とされた楊孝文氏は拳式名称が徐致一氏とほぼ一致しているのでその直伝弟子の李関庭師匠から受け継いだ筆者もそれを踏襲している。それで、本編でその相違点を記しておきたい。
1.
(馬氏)如封似閉→豹虎推山→十字手→斜摟膝拗歩→翻身摟膝拗歩
(徐氏)如封似閉→抱虎帰山
2.
(馬氏)退歩打虎→双峰貫耳
(徐氏)退歩打虎→二起脚→ 双峰貫耳
3.
(馬氏)翻身二起脚→高探馬
(徐氏)翻身二起脚→撇身捶
4.
(馬氏)単鞭→ 高探馬→迎面掌
(徐氏)単鞭→ 迎面掌
5.
(馬氏)弯弓射虎→上歩高探馬→ 迎面掌
(徐氏)弯弓射虎→上歩迎面掌
その他に"上歩"と"進歩"の違いなど若干異なる箇所もあるが、ここでは省略する。