こんばんは。

 

ピュアコミュニケーション協会 代表 真弓ちゃんの夫

 

たいひーです。

 

 

 

 

 

”産後うつ”になったり

 

 

育児を巡り、妻と、夫とケンカが絶えず

 

 

イライラをぶつけてしまう原因は

 

 

 

はっきりといえば

 

 

 

「自分がやりたいことをやれていない」からだろうと思います。

 

 

 

 

 

だったらやっちゃえばいいじゃん!

 

 

 

 

 

 

それが・・・

 

 

 

 

「親」だから出来ないんです・・・・

 

 

 

 

ほんとでしょうか?

 

 

 

 

 

無意識に「親」であることに意識と行動が引っ張られて

 

 

 

「かっちょいい親」であろうと無理して頑張って

 

 

 

自分がやりたいこと、正直な欲望を抑えつけちゃう。

 

 

 

 

 

 

短期間なら、それも良いでしょう。効果的でしょう。

 

 

 

 

 

しかし、

 

 

 

長期間になると、必ずどこかのタイミングで

 

 

 

燃料切れになります。ガス欠になります。

 

 

 

 

 

そうなると、バランスが崩れちゃいます。

 

 

 

 

偉そうなことをつらつらと述べていますが

 

 

何を隠そう、私たいひーがこの典型で

 

 

正直な欲望を抑え続けた結果

 

 

いわゆる”産後うつ”的な症状が顕著に現れました。

 

 

 

 

 

前回のブログでは

 

 

「我探しの旅」で

 

 

自分の感情、感覚を蘇らせるための

 

 

「タイムスケジュールからの解放」についてお伝えしましたが

 

 

今回は、旅の間にトライした

 

 

2つ目の「解放」についてご紹介します。

 

 

 

 

 

 

2つ目の「解放」とは

 

 

 

「親」としての役割からの解放です。

 

 

 

ワオ。

 

 

 

育児放棄、ネグレクトをしなさい!と言いたいのではありません。

 

 

 

 

 

 

 

24時間 「親」であることは

 

 

ヒトにとって不自然だとお伝えしたいのです。

 

 

 

 

 

 

それまで、自分のやりたいようにやっていたのに

 

 

子どもが生まれたので

 

 

急に24時間「父親、母親」でいなければならないというのは

 

 

無理があると考えています。

 

 

 

 

 

「父親」という社会的な役割を

 

 

一旦、全て解放して

 

 

あれ、私って何が好きだったっけ?

 

 

どんなことを考えている時に、幸せを感じていたっけ?

 

 

というのを思い出すために

 

 

「我さがしの旅」の間、

 

 

子ども時代、学生時代、結婚する前に過ごした時間を

 

 

追体験しました。

 

 

 

追体験することで、「自分の感覚」 「自分の感情」が蘇ってきました。

 

 

 

 

「自分の感情」が蘇れば、こっちのもの!笑

 

 

 

”産後うつ”はもう撃退したも同然です!

 

 

 

 

 

さて、それでは

 

 

旅ではなく、家庭生活に戻ったときに

 

 

エンエン泣く子どもを前にした時に、眠いのに夜泣きをする子を前にした時に

 

 

言うことを聞かない子どもを前にした時に

 

 

いかにして、この「自分の感覚、感情」を保つ続けるのか?

 

 

というのがカギになってきます。

 

 

 

 

 

毎回「旅」に出るわけにもいきませんしね 笑

 

 

 

 

 

 

たいひー的解決方法は

 

 

1日のうちに少なくとも1時間以上

 

 

完全に「親」としての時間から、物理的に、精神的に

 

 

離れる時間を持つというものです。

 

 

 

簡単にいえば

 

家を出て、お出かけします。

 

 

 

 

 

 

その時、心がけていることは

 

 

「父親たいひー」として出かけるのではなく

 

 

「個人たいひー」として出かけること。

 

 

 

 

 

「父」としてどこに出かけるか?

 

 

「父」として何をしに行きたいのか?

 

 

ではなく

 

 

「個人」として何のために外出したいか?に

 

 

意識を集中します。

 

 

 

 

 

赤ちゃん本舗に行くのではなく

(親として)

 

 

自分の趣味の店に行くみたいに。

(例えば)

 

 

 

 

 

 

バックグラウンドは「親」ではなく

 

 

あくまで「個人」

 

 

 

 

 

親であろうと

 

 

息子、娘であろうと

 

 

個人、個人が幸せを感じていないと

 

 

家族に幸せを与えようとは思えないと、経験上感じます。

 

 

 

 

 

笑えません。励ませません。

 

 

 

 

笑えないので、もっと辛くなります。

 

 

 

 

家族もつらくなり、さらにイライラして、という負のスパイラル。

 

 

 

 

 

「個人」たいひーが精神的に満たされている状態で初めて

 

 

「親」たいひーの心も満たされていて

 

 

家族への「愛情」も感じられる。

 

 

 

 

 

心が満たされているかどうかを判断する指標は

 

 

家族に「優しく」接することができているか?

 

 

 

 

 

 

あ!ちょっとでも優しく出来ていないなと

 

 

意地悪たいひーが垣間見えた瞬間、

 

 

 

「外に出てくる」

 

 

 

 

これが我が家の合言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

個人、個人の幸せが結局は家族の幸せに繋がるという

 

 

確固たる信念を胸に抱き、

 

 

 

今日も夜、2人の子どもが眠りについたあとに

 

 

「親」「父親」、「夫」としての役割から完全に解放されて

 

 

「たいひ一個人」の幸せを追求して、没頭しにいくたいひーなのでした。