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バンクーバー風車小屋便り バックアップ用

私はイエス・キリストに仕える日本男子です。
2019年8月にFC2ブログに引っ越しました。FCのアドレスはhttps://taiheiyoyoshio.fc2.net/
したがってこのアメーバのバンクーバー風車小屋便りは、FCの保存版となります。もはやここでの新記事更新はほぼありません。

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閲覧者の皆様

弊ブログ「バンクーバー風車小屋便り」は、YouTube(ユーチューブ)版を開設しました。

 

実験的には、既に昨年12月より(チャンネル登録だけは5月)試行錯誤の状況で始めていますが(何分映像方面は素人ゆえ)、こうした紆余曲折の末、この度太平洋好男の「バンクーバー風車小屋便り」として正式かつ公式にスタートいたしました。

 

幸いなことに、この5か月以上の試験期間においてさえ、既に1万件を超える総視聴回数を得ることができました(2024年5月6日現在、11,784回)。弊ブログがネット上でスタートした時には年間で1万件のアクセスだったのを鑑みれば、弊ブログにとっては大きな前進と受け止め、視聴者の皆様に感謝いたします。

 

なおユーチューブ版のチャンネルへのアクセスは以下の通りです。

https://www.youtube.com/@Taiheiyo-Sukio

 

ユーチューブ版ではこれまで23作品を発表してきましたが、今週最新作も出しました。これは朗読による文章編の最初のものとなります。

 

 

 

 

 

今後ユーチューブ版「バンクーバー風車小屋便り」も宜しくお願い致します。

 

 

2024年5月7日(カナダ西部時間)

バンクーバー風車小屋便り

太平洋好男

 

 

上記の記事は、以下のサイトの転載記事となります。

YouTube版「バンクーバー風車小屋便り」のお知らせ - 映画・演劇・舞踏 (fc2.net)

 

    日本のあるマスコミ(特にNHK等)報道によれば、特にアメリカのキリスト教福音派は、イスラエルとパレスチナの戦争において、ほぼイスラエル側を全面的に支持しており、そのため米国政府はイスラエル寄りの方針をとっているという。

     

    この見解は正確ではない。確かに米国の福音派にはそういう思考の持ち主がある程度いるかもしれないが、すべてではない。もちろん他国のキリスト教福音派に至っては、戦争に反対する人も少なからぬいることは事実だ。

     

    実際私の知人であるアメリカ人の著名な牧師の一人は、福音派に属する方であるが、以下のような見解を主張している。

     

    (以下英文の原文を翻訳したもの)

     

    イスラエルとガザ情勢のために私たちが祈ることは、聖書的世界観に基づくものでなければならない。

     

    旧約聖書には、神がイスラエルに対して反抗的であったために、定期的にイスラエルを懲らしめられたことが記されている。

     

    現代のイスラエルが神に献身しているとは誰も思わないはずだ。

     

    例えば、ある最近の研究によれば、「20歳以上のユダヤ人のうち、44%が世俗的(神を信じない、あるいは神の命令に従おうとしない)、21%が伝統的だがあまり守っていない(ユダヤ教の祝日は祝うが、神の命令は気にしない)、 12%は伝統的で遵守的(少なくともユダヤ教の習慣に従う)、12%は宗教的、11%は超正統派(旧約聖書よりもタルムード(ラビの教え)に傾倒している)。 」

     

    ということは、おそらく35%が何らかの意味で神に献身しているか、神の命令に従おうとしていることになる。イスラエル人の救いのために祈り、神が彼らにご自身を現し、彼らの罪を悔い改めさせ、彼らがメシアを受け入れるように福音に心を開いてくださるように祈ることを、私たちは思い起こさなければならない。

     

    私たちはまた、神がこの非常に困難な状況を用いて、彼らが神を求め、福音に対してより開かれるように祈ることができる。

     

    私たちは、神が彼らの心を和らげ、彼らに悔い改めを促す指導者を立てて、ほとんどのユダヤ人が二千年来してきたようにメシアを拒絶し続けることがないよう祈らなければならない。

     

    また、パレスチナ人の中にクリスチャンがいることを忘れてはならない。彼らはキリストにある私たちの兄弟姉妹であり、彼らのために執り成すことを忘れてはならない。彼らはおそらく、この地域の誰よりもひどい扱いを受けている。

     

    私たちは、ガザに福音が届くように、そして神がパレスチナ人を邪悪な指導者たちから解放してくださるように祈らなければならない。私たちは、イスラエルが救われることを切望するのと同じように、彼らが救われることを切望すべきである。

     

     原文

    Whatever we pray for the situation in Israel/Gaza should be shaped by a biblical worldview. We see throughout the Old Testament that God regularly disciplines Israel because of their rebellion against him. No one should think that present day Israel is devoted to God. One recent study, for example, shows that "Of the Jewish population aged 20 and over, 44% of Jews self-identify as secular [= do not believe in God or do not attempt to follow God's commands], 21% as traditional but not very observant [likely celebrate Jewish holidays but don't worry about God's commands], 12% as traditional and observant [at least follow Jewish customs], 12% as religious, and 11% as ultra-Orthodox [these are typically more devoted to the Talmud (teachings of the rabbis) than to the Old Testament]." So, perhaps 35% are devoted to God in some sense or make some attempt to follow God's commands. That should remind us to pray for the salvation of Israelis, asking God to reveal himself to them, move them to repent of their sin, and open their hearts to the gospel so that they embrace the Messiah. We can also pray that God would use this very difficult situation to cause them to seek Him and make them more open to the gospel. We should pray that God will soften their hearts and raise up leaders who will call them to repentance so that they do not continue to reject the Messiah as most Jews have done for two millennia.

    We dare not forget that there are Christians among the Palestinians. They are our brothers and sisters in Christ and we dare not forget to intercede for them. They face perhaps more mistreatment than anyone in the region. We should pray for the gospel to come to Gaza and for God to deliver Palestinians from their wicked leaders. We should long for them to be saved, just as we long for Israel to be saved.

     

    上記の記事は以下のウエブサイトからの転載記事となります。

    トップページ - バンクーバー風車小屋便り (fc2.net)

     

     

    HAPPY EASTER!  祝復活祭!

     

    カナダ時間の明日はイースターすなわち、日本語に翻訳すると復活祭です。

     

    カナダのみならず多くのクリスチャンの多い国家では、イエス・キリストの受難日に当たる金曜日からイースター明けの月曜日まで四連休となっているところが多いようです(官公庁にても)。

     

    既にご存じの方も多いかと思われますが、この受難日とは、イエス・キリストが人類の罪を一身に背負って命を捧げられたことを記念する日であり、その後三日後に新しい体をもって復活されたイエスを祝う日が復活祭すなわちイースターです。それゆえクリスチャンの間ではそれゆえクリスマス以上に大切な記念日となっています。

     

    それではイエスの復活すなわち人類にとって究極的ともいえる恵とはいったいどのようなものなのでしょうか。その点を聖書から見てみましょう。

     

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    こう話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、霊を見ているのだと思った。

     

    そこで、イエスは言われた。「なぜ、取り乱しているのか。どうして、心に疑いを抱くのか。私の手と足を見なさい。まさしく私だ。触ってよく見なさい。霊には肉も骨もないが、あなたがたが見ているとおり、私にはあるのだ。」

     

    こう言って、イエスは手と足をお見せになった。

     

    彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていると、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。

    そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

     

    イエスは言われた。「私がまだあなたがたと一緒にいたときに、語って聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、私についてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてあることは、必ずすべて実現する。」

     

    そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

    また、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、すべての民族に宣べ伝えられる。』」

     

    新約聖書 ルカによる福音書 24章 36ー47節より引用

     

    この不老不死の新たなる体にイエスを信じる者たちも死後復活してなるという希望は、人類のこれまで持ってきたどの希望よりもとてつもなく巨大なものと言えるでしょう。

     

    この神の無限の様なご慈愛に深く感謝してこの日を迎えたいと思います。

     

    2024年3月31日

     

    社会は多様性という言葉がもてはやされるようになってきた。 しかしその意味をどれだけ人々は理解しているであろうか。 互いが自分より異なる人格を持った存在ということを認めない限りそれを唱えるだけでは絵に描いた餅となってしまうだろう。

     

    私たち人間は本来それぞれ異なっ現代た存在だ。畢竟、考え方・立場・視点も全て異なっている ことは大なり小なり存在するだろう。 かくなる状況において、私たちが他者を客観的に理解するということはこうした問題を解決するために必要なことだ。

     

    換言すれば他者を十分理解できない限り、多様性を十分受け入れるなどと言うことは至難の業と言えるだろう。

     

    ではどうしたらよいのか。

     

    まずは他者(相手)と十分なコミュニケーションをとることだ。コミュニケーションは、異なる考え方を持つ相手を理解するのに必要不可欠な行動ゆえ。これにより相手を理解するための必要なデータを集積できるのだ。 また必要なら、相手の背景に関するデータも可能な限り集積したらよいだろう。そしてそれらの情報を分析しよく吟味することだ。

     

    次に、自己の主観的な感情・視点を極力排除し、客観的に他者(相手)の立場・思考・思想・視点というものを分析する。分析はとても重要な作業と思われる。

     

    かくなるプロセスを経ることにより、相手(他者)を十分に受容できるようになる、すなわち多様性と言うものを受け入れることができるようになると筆者は考えている。

     

    上記の記事は、以下のウエブサイトからの転載となります。「多様性」をどうやって受け入れればよいのか? - 短編小説・エッセイ・その他作品① (fc2.net)

    当ブログでは今後ランダムに珠玉の名分をご紹介させていただきます。今回ご紹介するのは司馬遼太郎の秀作「韃靼疾風録」からのものです。

     

    これは一人の日本人武士が歴史的証人として(この部分はフィクションのようですが)清朝帝国の勃興に立ち会ったことを描いた大作です。

     

    今回その中で特筆したいのは有名な「一片石の戦い」を描いたシーンとなります。この戦いはシナ史上における天下分け目の大合戦であり、ある意味シナ版の関ヶ原ともいえる歴史的大戦です。

     

    司馬はこの大戦をものの見事に一代抒情詩の如く描写しておるため、すべてを転載するのも大変ゆえ、そのクライマックス部分を今回は転載させていただきます。

     

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    「満韃子(マンダーツ)だ」と、たれかが叫んだとき、恐慌は最絶頂に達した。

    こんなばけものが、なぜここに出現したのか。

    戦いは序盤からいきなり終盤になった。

    李自成の兵はたれもが敵について不審に思うより前に、逃げだした。

     

    (「韃靼疾風録」より)

     

    「戦いは序盤からいきなり終盤になった。」この一句で歴史的大会戦の本質が十分かつ粋に伝わっているところが最大のポイントでしょう。さすがは司馬遼太郎!恐れ入りました。

     

    上記記事は以下のウエブサイトからの転載となります。珠玉の名文紹介 司馬遼太郎作「韃靼疾風録」より - 短編小説・エッセイ・その他作品① (fc2.net)

     

    一部で未だ感染が広まっているといえども、その力自体がだいぶ衰えてきたコロナウイルス。そのため世界的にパンデミック終息と言う雰囲気になっています。神に感謝します。

     

    ブログ閲覧者の皆様方は、この世界的なパンデミックの3年間をいかにして乗り越えられてきたのでしょうか。

     

    私はカナダ政府や州政府の指針に従い、対コロナワクチンも四回接種したうえ、この数年では毎年インフルエンザの予防注射も受けております。幸いこれまで感染から守られてまいりました。このことも主なる神様に感謝しています。

     

    この世界的な伝染病の流行を通して、多くの人たちが死生観を再認識させられたのではないでしょうか。私もこの世のことだけではなく、死後永遠に続く世界のため思いを馳せることを一層強めました。

     

    考えてみればこのようなパンデミックがあろうとなかろうと人は誰でもやがて終焉の時を迎えます。問題はその短い人生と比べ、その後永遠に続く神の国での不老不死の世界に生きるか、永遠の刑罰を受けるのかという選択が大事と新たに認識いたしました。

     

    感謝なことにイエスを救い主であり神と信じるものには永遠の生命が与えられ、やがてイエスが再臨される時彼を信じるものは復活し、朽ちない体を与えられるというこの約束は実に誰にとっても感謝な事であり、死の問題という人間の永遠のテーマを唯一完全に解決できるものです。私たちは日々この大いなる神からの約束に信頼し希望をもって日常を生きております。

     

    願わくば皆様方もこの大いなる恵みを受けられることを日々願いお祈りしています。

     

    上記の記事は以下のウエブサイトからの転載となります。世界的なパンデミックを乗り越えて残ったものとは - 短編小説・エッセイ・その他作品① (fc2.net)

     

    私たちは加齢するにつれて、 死の先ということを深く考えるようになります。

     

     私たち人間というものは 長く生きても100年程度しか生きられません。 しかし死の後には 永遠というものが存在します。

     

    それには2つの選択肢しかないとイエス・キリストは 述べられています。 1つは 永遠の命を持ちながらキリストと共に、老いも病も罪もない完璧な世界で 永遠に生きるということ。もう一つは生前の罪の裁きのため、地獄のようなところで苦しみ続けるということです。それらの選択肢を私達は生きてる間にしなければならないと 聖書は警鐘を発しています。

     

    ですから私はこの救いを信仰によって(善行などあらゆる行いによらずして)受けたこの恵みを主にいつも感謝しています。同時にまだこのイエス様の福音を知らない方々には、無限のようなこの恵みに預かっていただくように祈っております。

     

    皆様方もこの無償の大いなる永遠の恵みを全員が受け取ってくださるよう私は日々祈ります。

     

    皆様方に豊かな祝福と恵みがイエス様からありますように 。 アーメン