近年、大学野球界を評して一部のジャーナリストから「人気の東京六大学リーグ、実力の東都大学リーグ」なる主張をよく聞く。
 
本当にそうなのだろうか。
 
確かに観客動員数やテレビでの視聴率では六大学の圧勝だ(というか、視聴率に関して言えば、それ自体がほとんど取れる見込みが無いため、東都ではテレビ中継そのものがないのだが)。

では実力のほうはどうであろう。
 
これを客観的に判断するもっとも単純な術(すべ)は、毎年、大学野球の日本一を決める「全国大学選手権」での両リーグの成績を比較すればよいだろう。

特にわかりやすいのが優勝回数だ。これまで同選手権優勝回数トップ10をあげると以下のようになる。(数字は優勝回数)
 
法政 8  駒沢 6  明治 5  早稲田 4  青山学院 4  日本 4  東洋 4  中央 4      亜細亜 4  近畿 4  
 
なんと近畿大学以外、すべて東京六大学と東都大学がトップ10を独占している状態だ。つまり日本の大学野球リーグでは、確かにこの両リーグが最強といっても過言ではないだろう(たまに他リーグに足元をすくわれて優勝をのがすこともあるが)。

さらにトップ10以下の優勝回数である慶応や専修など他の六大学及び東都大学の優勝校を合計すると以下の結果となる。

東京六大学 23  東都大学 24
 
つまり両リーグとも実力は拮抗していたのだ。しかも優勝回数(つまり大学日本一)は六大学の法政大学が長年そのトップ記録を維持している。
 
ただ蒙昧な一部のジャーナリストは、実力比較データとしてプロ野球選手輩出数を根拠にするものもあるようだ。
 
しかるに、これは実に稚拙な牽強付会(けんきょうふかい)といえよう。なぜなら偏差値的にエリート校が並ぶ六大学では、野球を捨てても大手優良企業へ楽に就職できるため、卒業後あえてプロを目指さない学生も多いからだ。

過去の事例においても、慶応の石井はドラフト二位で指名してきた横浜を、立教の黒須はドラフト三位で指名してきたヤクルトをそれぞれ拒絶して大手優良企業に就職している。六大学ではこうした選手がそれなりにいるうえ、既にドラフト前の交渉の段階でプロ入りを拒否している学生もかなりいるのだ。

その結果として就職事情が良い東京六大学の学生のプロ入り数が、東都より少なくなるわけであり、畢竟プロ野球選手輩出力が必ずしもリーグ戦の実力とは関係が無いことが明白であろう。しかもそうした状況でさえ、六大学自体は東都大学につぎ、日本で二番目にプロ野球選手を輩出している大学リーグという面も持っている。
 
ちなみに観客動員数が多ければ神宮球場もそうした六大学を優先することは資本主義の営業活動として至極当然だ。
 
また東京六大学を批判するジャーナリストが、二言目には口にする言葉が「入れ替え制のない六大学の弱体化」だ。
 
しかし上記の優勝回数でわかるように、決して六大学が実力が劣っているわけではない。また入れ替え制のことで目くじらを立てるのであれば、何ゆえ日本の野球界の頂点であるプロ野球(NPB)を批判しないのか。日本の球界の最高峰が、会員制クラブのごとく、入れ替え制無用というチーム固定制度で運営が行われているのだから。
 
このような寡占体制のプロスポーツは日本では野球くらいなものだ。サッカーのJFLは二部どころか三部まで組織されているし、ラグビー、バレーボール、また個人戦の大相撲なども皆入れ替え制だ。
 
特に相撲などは横綱を除けば大関とて十両まで転落することさえある(雅山、把瑠都のごとくに)。ちなみに相撲のヒエラルキー(階層)は、幕内、十両、幕下、三段目、序二段、序の口などなんと六部からなりたっており、米国メジャーリーグより苛烈となっている。
 
プロである球界トップが固定制度を強いているというのに、何ゆえプロ野球創設よりはるかに古くからの伝統を持ち、日本最古の野球リーグ戦であるアマチュア球界の東京六大学が、固定性を伝統として維持していることに何か問題でもあるというのだろうか。
 
以上の事実から私は以下のように推測する。
 
このように根拠の脆弱な「人気の東京六大学、実力の東都大学」なる主張を咆哮しているジャーナリストは、東京六大学に対してコンプレックスを持っている大学出身者ではないだろうかと。