三国志パートだけですが、『太平御覧』を現在翻訳を進めているのは日本でオイラだけのはず…。

どんな感じなのか少し披露。

太平御覧【巻二○七】職官部五より

【太尉】
袁山松の『後漢書』曰く、(霊帝は)太尉を劉虞から羊続へ譲位した。
霊帝の時代、三公になる時に皆任官の礼として一千万銭を輸することになっていた。
※買官ではなくても、任官する時に納付するしきたりだった
羊続は、ボロのひたたれを見せて曰く「臣(わたし)の財産はこれだけです。」
遂に、劉虞を代えなかった。

『齊職(官)儀』曰く、魏文(曹丕)の黄初二(221)年、日蝕があり太尉の賈クを免じる上奏があった。
※日蝕=太尉の罷免が当時のならわしである
(文帝は)詔して「天地災害の責任は朕にあり、今後災害が起きる度に三公を降格させない」と定めた。

…みたいに翻訳しています。
出典の原文を読むと、色々な発見があり三国志補完計画が、また一歩前進します。