坊さんに弟子入りした21才

坊さんに弟子入りした21才

「生き方が分からない」と悩む21才のマザコン大学生に救いの手を差し伸べてくれたのは「坊さん」だった。坊さんから仏教的生き方を洗脳されると人生が激変していく。坊さんに弟子入りしたけど、出家はしていない普通の20代男が、小学生でも実践できる仏教の知恵を紹介。

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「人はいつか死ぬと教えるのが、
坊さんの役目」

と坊さんは教えてくれた。

僕も、あなたもいつか死ぬ。

これは逃れようのない事実。

でも、そんなこと人は普段、
忘れちゃっている。

それよりも目の前の問題を
解決しようと、精一杯だ。

職場の人間関係で悩んでいる。

会社をクビになるかもしれない。

子どもが口を利いてくれない。

恋人と別れるかもしれない。

試験に落ちたらどうしよう。

だから、坊さんは、
それを教える役目がある。

誰もが死を直面することがある。

それは身内、友人、知人が
亡くなったときだ。

そのとき人は思い出す。

「いつか私も死ぬんだ」と。

仏教には人生をより良く生きる
知恵がつまっている。

でも、それを普段、人々に言い聞かせても、
「眠たくなる話」で誰も耳を貸してくれない。

だから坊さんは人の死に直面して、
自分の死を想像したときにこそ、
その役目を担う。

本当はこのときこそ人々に、
「皆いつか死ぬんですよ」と
メッセージを伝えるときなのだ。

でも、その役目を自覚している
お坊さんは少ないけれど。

僕は坊さんではないけれど。

今日、このブログを見てくださった
あなたに言いたい。

あなたもいつか死ぬ。

どんな生き方をしようとも。

そしてそれはいつか分からない。

30年後かもしれない。

10年後かもしれない。

1年後かもしれない。

ひょっとしたら、明日、交通事故で
死んでしまうかもしれない。

そんなこと誰にも分からないんだ。

あなたの身近でいつも支えてくれている
大切な人たちも、いつか死ぬ。

その現実を突き付けられたとき、
あなたは限りある命を、
どのように使いたいだろうか。

命を無駄にしていないか?

偉そうなことを若造が申すけれど、
この記事があなたの人生最大のテーマを
考えるきっかけになれば嬉しい。
「給料はいらないので働かせてください」

そうやって妹は2度目の採用希望を出して、
今つとめている会社の内定をもらった。

妹は美容師を目指している。

妹がつとめている美容院は、市内では有名なところで、
毎年、就職希望者もたくさんいるが新しい採用は
ほとんどないらしい。

とくに中途採用など前例がなかった。

ところが妹は先月、今までアルバイトをしていた
雑貨屋をやめて、突然、その美容院に
「そちらで働きたいです」と連絡を入れのだ。

当然、

「今は社員がいっぱいいるので、
新しい採用をとっていないんです」
と断られた。

「お兄ちゃん、やっぱりムリみたい」

妹は3年前、美容専門学校を卒業すると、
地元の個人経営の美容院に就職した。

ところが毎日のシャンプーやヘアカラー、
接客のストレスなどから、手湿疹がひどくなった。

一時は手から肩、首のあたりまで真っ赤に腫れて、
汁が出てくるくらいになった。

妹は1年半で仕事をやめてしまった。

女性にとって、とくに美容師を目指すほど、
美へのあこがれがある妹にとって、
ボロボロの肌を人に見られる毎日は、
とても辛かったのだと思う。

でも、口には出さなかったが、それ以上に、
厳しいスタイリストの業界の現実を体感して、
仕事へ向かう気持ちが折れてしまったのだろう。

それで雑貨屋でアルバイトをしながら、
自宅で湿疹の自然療法にチャレンジした。

それから2年が経って、今では湿疹は
見る影もなく、キレイな肌になった。

アルバイト先で彼氏もできた。
何不自由ない生活に戻った。

でも、どこかで美容師の夢をあきらめたことが
引っかかっていた。

年齢を重ねるにつれてチャレンジするのが
難しくなってくる。

やるなら今しかない。

「お兄ちゃん、私もう一度、美容師やってみたい」

妹には「絶対にここで働きたい」と思う
美容院があった。

この美容院はいつも夜遅くまで電気がついていて、
スタッフさんがミーティングやカットの練習をしている。

対応がきめ細やかで、心配りがすごく温かい。

実は僕も、坊さんの奥さんもこの美容院の常連だ。

中途採用など前例がないと分かっていても、
妹はこの美容院で働きたかった。

だがまともに話を聞いてもらうことができないまま、
断られて「やっぱりムリかも」と思ってしまったらしい。

相談をしてきた妹に、僕は、
「100%採用をもらえるある秘策」
をアドバイスした。

「本当にその美容院で働きたいなら、
給料なしでもいいから働かせてください
って言ってみたら?」

僕は坊さんに弟子入りしたときに、
最初に言われたことがあった。

・自分の給料は自分で稼ぐこと
・人が嫌がることを誰よりも率先してやること
・給料の10倍働くこと

「もし、僕の元を去って、別の場所で
働くことになっても、これさえ守っていれば、
『社長が絶対に手放したくない社員』
になれるよ」

正直、最初は「こんなの社長にとって
都合の良い社員になるだけじゃん」
と思っていた。

「言っていることは分かるけど、
結局、自分のために言ってるんでしょ」
と。

今、振り返ってみると恥かしいかぎりだ。

雇用者の立場になって考えてみれば、
よく分かることだ。

もし、

「私はこの会社が大好きなんです。
だからここでどうしても働きたいんです。

お給料はいりません。お休みもいりません。

バリバリ働いて、まず会社に利益を
上げられるようになります。

自分の給料は自分で稼げるようになります。
それまではお給料はいりません」

こんな就職希望者がいたとしたら、
経営者なら喜んで採用するだろう。

逆に自分もそうだったからよく分かるのだけど、
今の若い人のほとんどが、

「給料はいくらもらえるんですか?
有給は何日もらえるんですか?
仕事は楽ですか?」

という基準で仕事を選ぼうとしている。

でも、雇う側の気持ちになって考えてみれば
分かるけど、こんな社員はいらない。

何より情熱をもって自分のやりたい仕事に
取り組めないで、お金や休みのために
イヤイヤ働いている人はかわいそうだ。

お給料もらえなくても、この会社で働きたい
と思える仕事、会社と出会えたら幸せだ。

妹にも「もう一度、電話をかけてみたら」
とアドバイスをした。

「本当にそこで働きたいと思うなら、
給料はいらないのでそちらで働かせてください
って言ってみたら?」

そして翌日、彼女は本当にそうした。

連絡を受けた担当者もビックリしたらしい。

「えっ!?給料なしでいいんですか?
、、、じゃあ、少し話だけでもしてみましょうか」

ということになったらしい。

そして、その美容院のスタッフさんの1人が、

「僕の美容師の友達で、入りたい美容院の
採用試験を4回受けた子がいるんです。

ずっと採用してもらえなかったけれど、
あきらめずに最後までチャレンジして、
絶対に入りたかった美容院に入れたから、

その子はものすごい勢いで伸びていって、
結果出しているんですよ。

だから、きっとその子(妹のこと)も、
伸びる可能性があると思います」

と採用担当者に言ってくれたこともあって、
妹はその美容院の内定をもらった。

「お兄ちゃん、本当に入れちゃった」

妹の自慢をしたいわけではないし、
もちろん僕のアドバイスのおかげだと
言いたいわけでもない。

情熱は人を動かす。

給料なしでも、休みなしでも、
働きたいと思う仕事をやろう。

そして、
「ぜひうちに来てください!」
と言われる人になろう。
坊さんのお寺は東海地方でも屈指の禅寺だ。

500年以上もの歴史があるそうだ。

と言われても、それが凄いことなのかどうか、
正直あまりピンとこなかった。

でも坊さんから、

「日本にはいろいろな会社があるけれど、
そのうち90%が10年以内に倒産するんだよ。

お寺が500年もの間、すたれることなく、
続くことがどれだけ大変なことかわかる?」

と言われて、少しだけ「凄いな」と思えた。

坊さんのお寺の本尊様は観音様だ。

本尊様と言っても、僕らと同世代の人は
あまりピンとこないだろう。

お寺に行くと、仏壇に仏像が安置されているが、
あれが本尊様だ。

「なんだ偶像崇拝かよ」なんて思う人も
いるかもしれないが、観音様には
ちゃんと意味があるらしい。

観音様は「慈悲」の象徴なのだそうだ。

例えば、自由の女神は、
「自由」と「民主主義」の象徴だ。

アメリカ国民は自由の女神を見るたびに、
自由を求め、志を抱いて大陸を移動してきた
先祖たちを想うのかもしれない。

アメリカンドリームを信じて、
夢を描いて生きるのかもしれない。

アメリカという国が良いとか、悪いとかを、
語るつもりはないけれど、あれだけの大国に
なったのには、きっと人々が夢と自由を追い求める
エネルギーが原動力になっているに違いない。

それで観音様は「慈悲」の象徴だといったけれど、

「慈悲」とは、

「悩み苦しみ痛みを抜いて、喜びを与える」
ということだ。

例えば、目の前に悩んでいる友達がいたら、
あなたならどうするだろうか。

勇気づけるために「頑張ろうぜ」と
声をかけるだろうか。

彼の苦しい胸の内をそばにいて
ただジッと聞いてあげるだろうか。

何も言わずに一緒にいてあげるだろうか。

あなたがどんな行動をとるにせよ、
もし、あなたのおかげで友達の悩みが
少しでも軽くなって、笑顔になったら、
それが「慈悲」ということだ。

相手のことを思いやる心、勇気づけよう
という心から生まれるものだ。

日本一の納税額者の斉藤一人さんが、
「観音様を拝んでも何のご利益もない」
と言ったらしい。

(正確には「観音参り自体に御利益はない」
と言ったそうです。wikipediaより)

ごもっともだ。

観音様がお寺に置いてある意味は、
それ自体が人々を救ってくれる
わけではなくて、

人々が観音様を見るたびに、
「人を思いやる心を大切にしよう」と、
何度も確認ができるように目に見える形に
してあるということだ。

こんなことを言うと、熱心な仏教徒の人には
怒られてしまうかもしれないけれど、

例えばアクセサリーの裏に言葉が刻んで
あることがあるけれど、観音様は
それに近いのかもしれない。

私たちが生きていく上で大切にしたいことを、
具体的な目に見える形にして置いておくことで
忘れないようにしているのだ。

坊さんは、

「別に宗教感を押し付けるつもりではないんだ。
観音様ではなくても、何でもいいんだよ。

生きていく上で、心のよりどころになるものを
持っている人は強いし、生き方にブレがない。

何かがあっても悩まないんだ」

と教えてくれた。

あなたは生きる上で、
何か大切にしていることがあるだろうか。

恋人とおそろいのアクセサリーを身につけて、
人を愛することの大切さを忘れないように
してもいいかもしれない。

家族との写真をいつも持ち歩いて、
自分を愛してくれる人がいることの有り難さを
忘れないようにしてもいいかもしれない。

学生時代のユニフォームを部屋に飾って、
がむしゃらに努力をしたあの日の情熱を
忘れないようにしてもいいかもしれない。

大事なのは物を持っていることじゃなくて、
そこにどんな意味を込めるのか。

限りある命を迷って無駄にしないように、
ブレのない生き方をするために。