出店の時の巾着袋の中で眠っていた、ブルーのペンライト。
そのレンズの端に、落としきれなかった指紋がうっすらと白く残っている。
傍らのスマートフォンは、マナーモードの微動で机をかすかに鳴らした。
部屋の隅、エアコンから流れる冷風が、マッサージ機のカバーを頼りなく濡らし続けている。
「私の本質なんて、見えても見えなくても、もう大差ない気がするんです」
オンライン画面の向こう、五十代の女性は、整えられた髪の奥で疲れた目を泳がせた。
「大差ない、なんてことはありませんよ。見えないから、みんな他人のSNSの数字なんかで自分を測りたがる」
男は軽妙な調子で笑ってみせる。
だが、胸の奥の声(インナーボイス)が冷ややかに囁く。
――よく言う。お前こそ、自分の『本質』とやらが今どこでどう燻っているのか、見当もついていないくせに。
「先生には、私がどう映っていますか。ただの、諦めの悪いおばさんでしょう」
「諦めが悪いのは、まだ自分の物語が終わっていないと知っているからです。あなたの知能線は、ここで綺麗に枝分かれしている。
迷っているのは、どちらの道もあなたにとって本物だからなんです」
女性の手元が、画面の中でかすかに震えた。
その瞳に、静かに熱いものが込み上げていく。
他人に貼られたラベルではない、本当の自分をすくい上げられたような安堵。
その静かな感動が、沈黙となって通信回線を満たした。
男の指先が、自然と太筆を握る。
頭の計算を置き去りにして、胸の奥の深いところから、すとんと滑り落ちてきた言葉。
『迷うのは、あなたが誠実に生きている証拠』
一気に書き上げ、レンズの前に差し出す。
画面の向こうで女性は深く頷き、そっと目元を拭った。
通信が切れ、静寂が戻った空間。
液晶画面に映る自分の顔は、相変わらず冴えない。
何者かになろうともがき、折り返し地点を過ぎてなお足掻いている、ただの男だ。
スマートフォンには、誰のものともつかない幸福の通知がまたひとつ、
無機質に滑り込んできた。
けれど、男はもうそれを追わない。
手についた墨の匂いを嗅ぎながら、次の半紙を静かに引き寄せた。
