ルーツ
J-Pop、J-Rockなどという洒落た(?)言葉など存在しなかった80年代、この時代が
私の音楽における原体験である。
音楽の情報源は『ザ・ベストテン』や『トップテン』などの歌番組のみと言っても良いくらいだった。
ピンクレディーのミーちゃんが好きだった。とても好きだった。
中学一年の時、聴き慣れない音楽と出会った。
それがYellow Magic Orchestra、すなわちYMOであった。
シンセサイザーという、機械なのか楽器なのかわからんモノを駆使して、東洋を想起させる
メロディーを奏でる、正体不明の3人組。
アイドルでもなく、バンドでもないっぽく、しかもオトナだし。
ランキング番組にランクインしているのに、さっぱりテレビに出て来ない。
かっこいい!!!
少年の心はときめいた。完全にやられた。『歌』を持たない音楽に。
意味もなく楽器屋さんに行き、弾けもしないシンセを触る。触っているだけで、自分もYMO気分に
なっていた。
このアルバム『Solid State Survivor』には、『Rydeen』『Technopolis』など、誰もが耳にした
名曲たちが散りばめられている。
このアルバムがリリースされてから約30年。今でも新鮮であり続ける素晴らしい作品である。
ことあるごとにこのアルバムを手に取る。そしてスピーカーからその音が流れる度に血流が早くなる。
私の原点、ルーツとして、今後も色あせない音を聴かせてくれるに違いない。
私の音楽における原体験である。
音楽の情報源は『ザ・ベストテン』や『トップテン』などの歌番組のみと言っても良いくらいだった。
ピンクレディーのミーちゃんが好きだった。とても好きだった。
中学一年の時、聴き慣れない音楽と出会った。
それがYellow Magic Orchestra、すなわちYMOであった。
シンセサイザーという、機械なのか楽器なのかわからんモノを駆使して、東洋を想起させる
メロディーを奏でる、正体不明の3人組。
アイドルでもなく、バンドでもないっぽく、しかもオトナだし。
ランキング番組にランクインしているのに、さっぱりテレビに出て来ない。
かっこいい!!!
少年の心はときめいた。完全にやられた。『歌』を持たない音楽に。
意味もなく楽器屋さんに行き、弾けもしないシンセを触る。触っているだけで、自分もYMO気分に
なっていた。
このアルバム『Solid State Survivor』には、『Rydeen』『Technopolis』など、誰もが耳にした
名曲たちが散りばめられている。
このアルバムがリリースされてから約30年。今でも新鮮であり続ける素晴らしい作品である。
ことあるごとにこのアルバムを手に取る。そしてスピーカーからその音が流れる度に血流が早くなる。
私の原点、ルーツとして、今後も色あせない音を聴かせてくれるに違いない。
レッスンとは?
夢をつかむために、それを実現するための場所を選ぶということは、圧倒的に正しい。
しかし、人間という動物は「慣れる」いや、「馴れ合う」のである。
自らが望んで始めたことでも、その場に馴れてしまうことで、いわゆる「やらされてる」感じが
出て来てしまうことがある。
私が自ら行うレッスンには、そういう空気は作りたくない。
これはあくまでも私の姿勢であって、生徒は私ではないのだ。
だからこそ、レッスンというものは『闘い』であるような気がする。
夢というイスに座れるのは、一握り、いや、一つまみくらいの人間だ。
その数少ないイスを奪い合うのである。
命がけの『イス取りゲーム』
出来れば、みんなに座らせてあげたい。
とにかく、今は汗をかき、心と身体を磨き、想いを言葉に代え、歌うのだ。
それ以外、考える暇もないほどに、『夢中』という時間を過ごして欲しい。
夢の中。その時こそが、夢の中。
しかし、人間という動物は「慣れる」いや、「馴れ合う」のである。
自らが望んで始めたことでも、その場に馴れてしまうことで、いわゆる「やらされてる」感じが
出て来てしまうことがある。
私が自ら行うレッスンには、そういう空気は作りたくない。
これはあくまでも私の姿勢であって、生徒は私ではないのだ。
だからこそ、レッスンというものは『闘い』であるような気がする。
夢というイスに座れるのは、一握り、いや、一つまみくらいの人間だ。
その数少ないイスを奪い合うのである。
命がけの『イス取りゲーム』
出来れば、みんなに座らせてあげたい。
とにかく、今は汗をかき、心と身体を磨き、想いを言葉に代え、歌うのだ。
それ以外、考える暇もないほどに、『夢中』という時間を過ごして欲しい。
夢の中。その時こそが、夢の中。
SHAME
音楽学校に入学した者の宿命と言っても良い。
世間の人は君を「いずれプロになるかもしれない人」として判断する。
このことを自覚していない学生が多すぎる。
もしプロを目指すのなら、ハードルは高くて当たり前であって、それを越えることにやりがいを
覚えて然りである。はずだ、、、、、。
プロに対し、「音程良いですねえ~!」などという評価など存在しない。
ピッチもリズムも滑舌も、良くて当たり前なのである。
私は特別な人間ではない。むしろ、コンプレックスの塊のような精神の持ち主である。
いや、かつてはそうだった、というのが正しいな。
コンプレックスから抜け出したくて、努力というものが存在していたような気がする。
『努力』が嫌いではなくなったのは、報われる喜びを知ったからだ。
しかし、その「報われる」という現象は、報われるまでやらねば味わえないのだ。
さて、学生たちをどうしたものか?
学生はバイトには遅刻はしないが、授業には遅れてきたりするらしい。
私のレッスンに遅刻などという言葉はないが、他の先生方からは、そのような
切ない報告も受けている。
切ない。実に切ない。
せっかくの才能を腐らせる原因がすでにあるなんて。
新学期が始まったばかりではあるが、来年度の入学基準を検討する必要があるかもしれないな。
『出来て当たり前』という概念を笑顔で受け入れ、その基盤の上に『何を表現するか?』
で、勝負して欲しいものである。
まったくもって、教育とは難しく、人間という存在をいつも突きつけられるものである。
世間の人は君を「いずれプロになるかもしれない人」として判断する。
このことを自覚していない学生が多すぎる。
もしプロを目指すのなら、ハードルは高くて当たり前であって、それを越えることにやりがいを
覚えて然りである。はずだ、、、、、。
プロに対し、「音程良いですねえ~!」などという評価など存在しない。
ピッチもリズムも滑舌も、良くて当たり前なのである。
私は特別な人間ではない。むしろ、コンプレックスの塊のような精神の持ち主である。
いや、かつてはそうだった、というのが正しいな。
コンプレックスから抜け出したくて、努力というものが存在していたような気がする。
『努力』が嫌いではなくなったのは、報われる喜びを知ったからだ。
しかし、その「報われる」という現象は、報われるまでやらねば味わえないのだ。
さて、学生たちをどうしたものか?
学生はバイトには遅刻はしないが、授業には遅れてきたりするらしい。
私のレッスンに遅刻などという言葉はないが、他の先生方からは、そのような
切ない報告も受けている。
切ない。実に切ない。
せっかくの才能を腐らせる原因がすでにあるなんて。
新学期が始まったばかりではあるが、来年度の入学基準を検討する必要があるかもしれないな。
『出来て当たり前』という概念を笑顔で受け入れ、その基盤の上に『何を表現するか?』
で、勝負して欲しいものである。
まったくもって、教育とは難しく、人間という存在をいつも突きつけられるものである。
情熱とアイデア
某レーベルにて打ち合わせをしてきた。
日本国内ではかなり有名なレーベルであっても、世界的な不況と、CDセールスの低下という時代の流れには
苦戦を強いられているらしい。
時代と共に、音楽シーンも、音楽を取り巻く環境も変わる。
このことは『時間』という概念には当然含まれているので、「時代のせいだ!」などと、嘆いてばかりでは
それこそ生き残れるはずもない。
人間には知恵がある。
我々、音楽に携わる者にとってみれば、それは『アイデア』である。
前提としては「No Music , No Life」である。音楽のない人生など無いのである。
100年後も、人類は音楽に涙し、歓喜し、癒されるのである。
レコードがCDになり、ダウンロードによる配信販売が主流になろうとも、『音』は無くなりはしない。
私は、その昔のLPレコードのジャケットに憧れていたが、私自身はレコードという形でのリリースは
出来なかった。LPレコードのジャケットには、いわゆるアートの匂いがあった。
それがCDになり、ブックレットが付くようになった。大きさ自体は小さいが、その分
いろんな工夫がなされた。
ダウンロードが主流になると、パッケージに対する考え方はどうなるのだろう?
これは、私のレーベル『G-FREE Records』にとっても大きな問題であると同時に、力の見せ所でもある。
今日の打ち合わせでは、いろいろと魅力的なアイデアが生まれた。
あとは、これを形にする情熱が持続するか否か、である。
『音楽』が死なない限り、また、それを支える情熱も消えないことを、私は信じたい。
日本国内ではかなり有名なレーベルであっても、世界的な不況と、CDセールスの低下という時代の流れには
苦戦を強いられているらしい。
時代と共に、音楽シーンも、音楽を取り巻く環境も変わる。
このことは『時間』という概念には当然含まれているので、「時代のせいだ!」などと、嘆いてばかりでは
それこそ生き残れるはずもない。
人間には知恵がある。
我々、音楽に携わる者にとってみれば、それは『アイデア』である。
前提としては「No Music , No Life」である。音楽のない人生など無いのである。
100年後も、人類は音楽に涙し、歓喜し、癒されるのである。
レコードがCDになり、ダウンロードによる配信販売が主流になろうとも、『音』は無くなりはしない。
私は、その昔のLPレコードのジャケットに憧れていたが、私自身はレコードという形でのリリースは
出来なかった。LPレコードのジャケットには、いわゆるアートの匂いがあった。
それがCDになり、ブックレットが付くようになった。大きさ自体は小さいが、その分
いろんな工夫がなされた。
ダウンロードが主流になると、パッケージに対する考え方はどうなるのだろう?
これは、私のレーベル『G-FREE Records』にとっても大きな問題であると同時に、力の見せ所でもある。
今日の打ち合わせでは、いろいろと魅力的なアイデアが生まれた。
あとは、これを形にする情熱が持続するか否か、である。
『音楽』が死なない限り、また、それを支える情熱も消えないことを、私は信じたい。
悩める子羊たち
新学期が始まって一週間。
モチベーションは全体的には高いものの、その分、やる気と現実が空回りして悪循環を招いてしまう学生も
中にはいる。
人は機械ではないのだから、理屈通りに事は運ばない。
誰だってそんなことはわかっているし、学生だって子供ではないのだ。
いや、法律的には子供というカテゴリーに入るが、まあ、自我もあれば夢もある年齢であることにかわりはない。
やる気を形にしようとするが、知識や経験が足りない。これがバンドともなれば、メンバーが絡んできて、話は増々複雑になる。メンバーのモチベーションにもバラつきがある。物事がうまく運ばない原因を考えると「誰のせいか?」という負の感情が沸き起こり、バランスが取れなくなってくる。きちんと前向きな喧嘩が出来れば、まだ救いがあるが、その感情をしまい込めば、ストレスという劣悪な物質へと変わる。
ここに「クリエイティブ」な空気は流れない。良い『音』は鳴らない。
でも、夢が枯れるわけではないから、必死に出口を見つけようとするんだ。
私に出来ることにマニュアルはない。話を聞いてみるしかない。
それも、向こうから話して来るならば、だ。
私からあれやこれやと聞き出すことに意味はない。
大いに悩めば良い。この牧場の中にいる限りは、事故には繋がらないはずだ。
泣いて、笑って、歌って、探せ!
モチベーションは全体的には高いものの、その分、やる気と現実が空回りして悪循環を招いてしまう学生も
中にはいる。
人は機械ではないのだから、理屈通りに事は運ばない。
誰だってそんなことはわかっているし、学生だって子供ではないのだ。
いや、法律的には子供というカテゴリーに入るが、まあ、自我もあれば夢もある年齢であることにかわりはない。
やる気を形にしようとするが、知識や経験が足りない。これがバンドともなれば、メンバーが絡んできて、話は増々複雑になる。メンバーのモチベーションにもバラつきがある。物事がうまく運ばない原因を考えると「誰のせいか?」という負の感情が沸き起こり、バランスが取れなくなってくる。きちんと前向きな喧嘩が出来れば、まだ救いがあるが、その感情をしまい込めば、ストレスという劣悪な物質へと変わる。
ここに「クリエイティブ」な空気は流れない。良い『音』は鳴らない。
でも、夢が枯れるわけではないから、必死に出口を見つけようとするんだ。
私に出来ることにマニュアルはない。話を聞いてみるしかない。
それも、向こうから話して来るならば、だ。
私からあれやこれやと聞き出すことに意味はない。
大いに悩めば良い。この牧場の中にいる限りは、事故には繋がらないはずだ。
泣いて、笑って、歌って、探せ!