「日々、精進。」 -27ページ目

ルーツ

J-Pop、J-Rockなどという洒落た(?)言葉など存在しなかった80年代、この時代が
私の音楽における原体験である。

音楽の情報源は『ザ・ベストテン』や『トップテン』などの歌番組のみと言っても良いくらいだった。

ピンクレディーのミーちゃんが好きだった。とても好きだった。

中学一年の時、聴き慣れない音楽と出会った。
それがYellow Magic Orchestra、すなわちYMOであった。

シンセサイザーという、機械なのか楽器なのかわからんモノを駆使して、東洋を想起させる
メロディーを奏でる、正体不明の3人組。
アイドルでもなく、バンドでもないっぽく、しかもオトナだし。

ランキング番組にランクインしているのに、さっぱりテレビに出て来ない。

かっこいい!!!
少年の心はときめいた。完全にやられた。『歌』を持たない音楽に。

意味もなく楽器屋さんに行き、弾けもしないシンセを触る。触っているだけで、自分もYMO気分に
なっていた。

このアルバム『Solid State Survivor』には、『Rydeen』『Technopolis』など、誰もが耳にした
名曲たちが散りばめられている。
このアルバムがリリースされてから約30年。今でも新鮮であり続ける素晴らしい作品である。

ことあるごとにこのアルバムを手に取る。そしてスピーカーからその音が流れる度に血流が早くなる。
私の原点、ルーツとして、今後も色あせない音を聴かせてくれるに違いない。


「日々、精進。」-YMO

レッスンとは?

夢をつかむために、それを実現するための場所を選ぶということは、圧倒的に正しい。
しかし、人間という動物は「慣れる」いや、「馴れ合う」のである。

自らが望んで始めたことでも、その場に馴れてしまうことで、いわゆる「やらされてる」感じが
出て来てしまうことがある。

私が自ら行うレッスンには、そういう空気は作りたくない。
これはあくまでも私の姿勢であって、生徒は私ではないのだ。
だからこそ、レッスンというものは『闘い』であるような気がする。
夢というイスに座れるのは、一握り、いや、一つまみくらいの人間だ。
その数少ないイスを奪い合うのである。

命がけの『イス取りゲーム』

出来れば、みんなに座らせてあげたい。

とにかく、今は汗をかき、心と身体を磨き、想いを言葉に代え、歌うのだ。
それ以外、考える暇もないほどに、『夢中』という時間を過ごして欲しい。
夢の中。その時こそが、夢の中。

「日々、精進。」-レッスン

SHAME

音楽学校に入学した者の宿命と言っても良い。
世間の人は君を「いずれプロになるかもしれない人」として判断する。
このことを自覚していない学生が多すぎる。

もしプロを目指すのなら、ハードルは高くて当たり前であって、それを越えることにやりがいを
覚えて然りである。はずだ、、、、、。
プロに対し、「音程良いですねえ~!」などという評価など存在しない。

ピッチもリズムも滑舌も、良くて当たり前なのである。

私は特別な人間ではない。むしろ、コンプレックスの塊のような精神の持ち主である。
いや、かつてはそうだった、というのが正しいな。
コンプレックスから抜け出したくて、努力というものが存在していたような気がする。

『努力』が嫌いではなくなったのは、報われる喜びを知ったからだ。
しかし、その「報われる」という現象は、報われるまでやらねば味わえないのだ。

さて、学生たちをどうしたものか?
学生はバイトには遅刻はしないが、授業には遅れてきたりするらしい。
私のレッスンに遅刻などという言葉はないが、他の先生方からは、そのような
切ない報告も受けている。

切ない。実に切ない。
せっかくの才能を腐らせる原因がすでにあるなんて。
新学期が始まったばかりではあるが、来年度の入学基準を検討する必要があるかもしれないな。

『出来て当たり前』という概念を笑顔で受け入れ、その基盤の上に『何を表現するか?』
で、勝負して欲しいものである。
まったくもって、教育とは難しく、人間という存在をいつも突きつけられるものである。


「日々、精進。」-鍵盤

情熱とアイデア

某レーベルにて打ち合わせをしてきた。
日本国内ではかなり有名なレーベルであっても、世界的な不況と、CDセールスの低下という時代の流れには
苦戦を強いられているらしい。

時代と共に、音楽シーンも、音楽を取り巻く環境も変わる。
このことは『時間』という概念には当然含まれているので、「時代のせいだ!」などと、嘆いてばかりでは
それこそ生き残れるはずもない。

人間には知恵がある。
我々、音楽に携わる者にとってみれば、それは『アイデア』である。
前提としては「No Music , No Life」である。音楽のない人生など無いのである。
100年後も、人類は音楽に涙し、歓喜し、癒されるのである。

レコードがCDになり、ダウンロードによる配信販売が主流になろうとも、『音』は無くなりはしない。

私は、その昔のLPレコードのジャケットに憧れていたが、私自身はレコードという形でのリリースは
出来なかった。LPレコードのジャケットには、いわゆるアートの匂いがあった。
それがCDになり、ブックレットが付くようになった。大きさ自体は小さいが、その分
いろんな工夫がなされた。
ダウンロードが主流になると、パッケージに対する考え方はどうなるのだろう?
これは、私のレーベル『G-FREE Records』にとっても大きな問題であると同時に、力の見せ所でもある。

今日の打ち合わせでは、いろいろと魅力的なアイデアが生まれた。
あとは、これを形にする情熱が持続するか否か、である。

『音楽』が死なない限り、また、それを支える情熱も消えないことを、私は信じたい。


「日々、精進。」-CDラック

悩める子羊たち

新学期が始まって一週間。
モチベーションは全体的には高いものの、その分、やる気と現実が空回りして悪循環を招いてしまう学生も
中にはいる。

人は機械ではないのだから、理屈通りに事は運ばない。

誰だってそんなことはわかっているし、学生だって子供ではないのだ。
いや、法律的には子供というカテゴリーに入るが、まあ、自我もあれば夢もある年齢であることにかわりはない。

やる気を形にしようとするが、知識や経験が足りない。これがバンドともなれば、メンバーが絡んできて、話は増々複雑になる。メンバーのモチベーションにもバラつきがある。物事がうまく運ばない原因を考えると「誰のせいか?」という負の感情が沸き起こり、バランスが取れなくなってくる。きちんと前向きな喧嘩が出来れば、まだ救いがあるが、その感情をしまい込めば、ストレスという劣悪な物質へと変わる。
ここに「クリエイティブ」な空気は流れない。良い『音』は鳴らない。

でも、夢が枯れるわけではないから、必死に出口を見つけようとするんだ。
私に出来ることにマニュアルはない。話を聞いてみるしかない。
それも、向こうから話して来るならば、だ。
私からあれやこれやと聞き出すことに意味はない。

大いに悩めば良い。この牧場の中にいる限りは、事故には繋がらないはずだ。
泣いて、笑って、歌って、探せ!

「日々、精進。」-譜面