11月24日。

 

1コ前の投稿に続き、追加の投稿です。

 

 

さっき、雨が止んだので、ちょっとお買い物に出たら、

 

外は意外にも寒くありませんでした。

 

あれ?

 

って感じです。

 

どうも家の中が寒いようです。

 

おかしいなぁ・・・日当たりは良い家なんですけどね。

 

家では動かないから寒く感じるのでしょうか・・・

 

 

まぁ、そんなことはどうでも良いのですが。

 

 

日曜日、忙しくもないので、

 

昼から、ゆっくりと朝日新聞を読みました。

 

コラム欄の「天声人語」に、今日は「進化の日」です。

 

と書かれていました。

 

ダーウィンの「種の起源」という著書が発行された日なのだそうです。

 

そして、そのコラムに興味深い話が載っていました。

 

静岡大学の教授の言葉として、

 

「じつは生命の歴史をみると、生き残ったのは強者ではなく、変化に適応できる弱者のほうでした。」

 

と書かれていました。

 

強い者はその強さのために変化を望まず、多様化しにくく滅んでいく。

 

 

なるほどなぁ・・・

 

と思いましたね。

 

環境の変化に対応できない者は衰退する。

 

当たり前なのだけど、なかなか気がつかないです。

 

弱肉強食という言葉があるので、

 

私たちは強い者が勝つのだと思ってしまいます。

 

でも、能力が優って一見強そうに見えても、

 

結局、生き残れなければどうしようもない。

 

「強い者が勝つのではなくて、勝った者が強いのである」

 

サッカーのベッケンバウアーの言葉だそうです。

 

最後に生き残った者が本当に強いということですね。

 

なるほど、なるほど・・・(*^。^*)

 

 

 

興味深い別の記事をもう一つ。

 

「壁崩壊30年 マルクス未完の問い」

 

という論説が載っていました。

 

 

その中に、マルクスはマルクス主義ではなかった、と書かれていました。

 

マルクスと言えば、共産主義の父。

 

その著書『資本論』は有名です。

 

私は、この『資本論』という本を読んだことがないので、

 

その中で、どういうニュアンスで経済が論じられているのかは知らないのですが、

 

歴史を学んだ時から、

 

てっきりマルクスがマルクス主義を唱えたのだと思っていました。

 

でも、違うのだそうで・・・

 

 

後の指導者たちが、マルクスやエンゲルス達の唱えた思想をもとに

 

築き上げたのがマルクス主義なのだそうです。

 

共産主義が失敗したのは、その思想そのものというよりは、

 

共産主義社会で実践された教条主義のせいではないか・・・

 

というのです。

 

つまり、原理原則に固執し臨機応変というのがない。

 

 

何でもそうですが、原理主義というのは、

 

直情的で融通が利かず、不具合の出る場合が多い。

 

融通を利かす、というのは、個人の裁量で様々な不公平が起こる危険性もあるけれど、

 

原理原則を通してしまうと、それもまた、

 

不平不満が生まれてしまう。

 

それも、事実です。

 

何事も、極はよろしくない。

 

マルクス本人は、マルクス主義の人じゃなかったなんて、

 

本当に意外でした。

 

 

ベルリンの壁が崩壊して30年。

 

もう、共産主義を声高に叫び現存している国は少なくなりました。

 

中国などをはじめとする社会主義国でも、

 

経済には一部資本主義を取り入れているという現状です。

 

世界で唯一大成功した共産主義を実践する国は「日本」だ

 

という人もいます。

 

 

高度成長期の後の日本では、極端な累進課税が課されており、

 

がっぽり儲けた者からは、たくさん税金を取り、

 

貧しい人達に公共サービスや手当という形で再配分する仕組みがありました。

 

児童手当や公立保育園の保育料のしくみ、しかりです。

 

所得の高い人は利用料が高く、所得の低い人は安い。

 

生活できないほどの収入しかない人には生活保護もある。

 

女性の給与の低さを考慮して、母子家庭のみを支える仕組みもありました。

 

同じ片親でも、父子家庭は同じサービスが受けられない。

 

なるべく格差をなくしていこうという政策で行われたことでした。

 

おかげで、数十年前の日本では「1億総中流社会」と言われることがありました。

 

あなたは、どの階級にあると思いますか?

 

と尋ねると、

 

殆どの人が「中流」と答えた。

 

そういう時代がありました。

 

今は、どうなのでしょうね。

 

人々は、まだ、自分の生活が「中流」だと答えるのでしょうか。

 

日本は、まだ、1億総中流社会なのでしょうかね?

 

気になりますね。