あれ?よく見たらみんな同じ人間じゃん!! -12ページ目

今日も2度寝、3度寝

最近、ほんとに寝つきと寝起き悪い。

今日寝たのは朝の6時で、起きたのが14時半。

確かに今日はバイトを終え夜中の3時に帰宅した後も、色々やっていた。
が、それはなんとなく寝れそうじゃなかったからってのもある。

疲れてんだから寝かせろ、俺!!!

ぱいぷパイプ

パイプといっても、「管」ではありません。

ホームズがくわえている方のパイプです。

何を隠そう、私もパイプ喫煙者なのです。

もっとも、喫煙といってもふかしです。そのうえ、今年から始めたばっかり。


ともあれ、香りと雰囲気がいい。

何か考え事をするときに、ゆっくりとした呼吸でパイプを楽しむ。

甘い香りが部屋を包み、いつの間にか部屋はけむくなっている。

そして渋い!!

タバコと違って、肺にいれないため依存性がなく肺が黒くならない!!

多分!!

更に、安い!!人によりますが。

だから私は、パイプを愛用してます。




人が死ぬとき

人は、肉体が滅んでも生きることが出来る。
そう、心の中で。

これは、誰でも知っている。
でも、意識できる人はそういない。
人の中に自分が生きていて、自分の中に色んな人が生きている。
そう、「躍動」しているのだ。

そして身近な存在であればあるほど、鮮明に描かれる。

私は、最近その存在を失った。
といっても、故人になったわけではない。

私の中では、まだその存在が生きている。
いや、殺すことは出来ない。

しかし、相手はいとも簡単に私を殺す。
正確には、それを感じる。

どんなに多くの人の中に自分が生きていても、その内の一人から殺されれば苦しいものである。
親しければ親しいほど。


こうやって、生の中に死も存在している。



言葉という魔法

言葉は人によってまちまちに捉えられる。

「あれ」といって、分かる人、怒る人様々。

ところで、昨日は雨が降っていた。
弟が学校に行く際に私のお気に入りの傘を使って行った。
私は、寝ていたのでそんなことも知らずにもって行かれた。
幸い、予備の傘があったので事足りたが、彼に反省文を書くよう置き手紙をした。

そりゃ、お気に入りの傘を無断で使われたのはショックでしたが、何より反省して欲しかったのは借りたことではなく、モノを大事にしないこと。

弟は行く度々なく傘を無くしまくっているので、振り返って欲しかったのだ。

しかし、反省文をみてみるといかにも中学生な内容でした。(笑)

微笑ましい限りではあるが、私の言いたい事が上手く伝わっていなかったことが原因である。
それもそのはず。
置き手紙に、反省する項目を提示したのみだったのだから。
半端な内容では、一般的な中学生が感情的になるのもうなずける。

状況と言葉で、人は迷走し妄想する。

いやはや、私もまだまだですなぁ。

仲間紹介

昨日のバイト中に、最近退職した仲間が遊びにきた。

彼は通称「こうちゃん」。
アメーバにて、ギターを教えているんで青年です。
gooにて「こうちゃん ギター」で検索すると、一番上に出てくる!!すげぇ!!
本人も紹介されてびっくりしていると思うが、そんなの関係ねぇ!!

さて、こうちゃんはギター技術を磨きながら働いており、そのお勤め先の一つに歌って弾けて飲める店がある。
以前に1度行ったのだが、ここがとても良い!!
客がセレクトした曲を、その場で弾きながら歌えるのだ!!
歌う自分が上手いとか下手とか関係なく、気持ちがいい!!
というか、その場で客にあわせたキーで弾けるのも凄い!!
そして、私も凄い!!(笑)

みんなで何かを創り上げている感覚に陥る。
あれは、ハマるとクセになる。というか、はまってしまった。

今は、金欠なので行けないが、その内行きます。


というわけで、よかったら「こうちゃん」のブログも見に行ってはいかがでしょうか??

カウンセリング、アサーションにおける考察

現在、アサーションに関するレポートを書いているが、私はこのアサーションをはじめ、カウンセリングは完成していないと考えている。

特に、アサーションを取り入れていないカウンセリングは、無意識域の要求を未解決のまま放置する、すなわち抑圧という方式をとっているからだ。
これでは、考えないグレーな思考を確立しているだけで、精神的な成長を期待できない。
何故なら、人間は知的に優れた生物であり、学習をもって精神的にも成長するものだからだ。
したがって、よほどの神経症的な障害でないかぎりは対決することで、治療をすべきだと考える。

しかし、人の自然的成長を期待する観点からすれば、極めて人工的な作業といえ、それは遺伝的要因を無視することにもなりかねない。

だが、人が人と関係している時点で人工的であり、無意識における多くの概念は普遍的なものであるため、その点に触れる限りでは、自然的ともいえるのではないだろうか。


アサーションについても、ある面にふたをしている。
それは、この考えの布教自体がイラショナルビリーフだからである。
イラショナルビリーフ=不合理な考えとは、「~でなければならない」という脅迫的な考え方であるが、この考え方が良いとしても、それをカウンセリングを通して広めることはイラショナルだと考えるからだ。
そもそも、アサーションはある意味、言葉の知識量が豊富であることも必要となるため、場合によっては定型的言語も学ぶ必要が出てくる。
さらに厳密性を問うならば、互いに大切にしているという確証は、いかなる実験、研究をしようとも少数派が必ず出ており、それを切り捨ている。

無論、アサーションの掲げる理念は理想的かつ平和的なものであることは確かである。
加えて、カウンセリングにおいて成果を挙げていることも注目すべき点である。

しかし、カウンせリングにおいては方法論がある意味不安定的であるため、絶対的効果を期待できない不確かな理念である。


いずれにしても、留意すべき点は数多く存在するが、これからの進展に期待できるものであることは確かである。

カウンセラー、学者、心理士、その他心療に関わる方々のご意見お待ちしております。

ぐるっぽ始めました。

夜の散歩

大学のレポートがはかどらないので、チョコレートを買いに散歩に出ていました。
寒いんですが、気持ちいいというかイイにおいなのです。

ここで、思ったのが生きていると言うこと。

人が魂が生きているということは、体感したことを再確認できるということでもある。
その再確認したものは、以前どこかでであった「何か」なのである。
だから、このにおいや気温を違った捉え方をするのも当然。
だから、人は「個人」でもあるのだと思った。

久々に泣きました

昨日、「グリーンマイル」借りてきた。

この映画は、アメリカの務所にいる刑務官と無実の死刑囚とのヒューマンストーリーである。

見所は沢山あるが、無実の死刑囚が電気椅子に座る前後のやりとりである。
ここには、現代人に足りない信頼や内観、ハイブロー精神、緻密さ、意識の高さがある。

人には譲れない何かがあると思う。
それが自分に向かうものばかりであっては、集団で営む人間として恥ずかしい。
ならば、その恥ずかしさを忘れてはいけない。
そう思う。

まあ御託は並べたが、とにかく私はこの映画が好きなのである。

勝手に夢分析

この夢は、私の現在状況だと考える。

まず、幼く見える女性から。
彼女は私の甘えや弱いの部分といえる。実際、現実において甘えを開放しようと試みていた。

しかし、甘えの開放先がないため、それは自身の秘め事として開放するしかなかった。

当然、それを自分以外の人には見せることは出来ない。
それが夢の後半で、弟に見つからないようにシュミレーションしている様として出ていたのだと思う。

しかし、何度もシュミレーションしていたところをみると、自身にしっくりくるものではないと暗示しているのかもしれない。