2本目のパイプ完成 | あれ?よく見たらみんな同じ人間じゃん!!

2本目のパイプ完成

あれ?よく見たらみんな同じ人間じゃん!!
あれ?よく見たらみんな同じ人間じゃん!!

今度は、こだわりにこだわりぬいてつくった、渾身の1品に仕上がったものと思っている。

悠々と自慢できるパイプと自負している。

勿論、売らないし、そんなつもりもない。

そもそも、買い手がいるかどうかの問題もあるが、私一人が勝手に言う分には問題あるまい!!

ところで、このパイプ作りについてふと感じたことがあった。

それは、パイプ作りは私にとって罪の昇華なのではないかということである。

昇華というとフロイドを連想するが、彼はその定義をリビドー欲動(性欲動)を直接的な性行動で満たすのではなく、スポーツや芸術、仕事などその他の活動で間接的に満たすこととしている。

しかし、ここでは性欲動に限ったものではない。

なにせ、罪って言っているくらいなので、もっと広く、また主観によって限定されている。

ここでは罪が何か(what)なのではなく、作ったパイプが罪の代替物なのである。

もっと言えば、パイプを作ることで罪を回避し、パイプへのこだわりは罪の質なのである。

つまり、パイプは罪そのものであり、そのパイプへの思い入れの強さは罪への思い入れでもある。

しかし、一転してパイプ作りは、罪と向き合うことの時間的な延長、つまり”逃げ”なのではないだろうか。

昇華をもってしても、罪は洗われないし消えない。

ただ、その罪と向き合い、受け入れることがユングのいう「個性化過程」として必要な”心の作業”なのであろう。

だから私はこう思う。

人は、自分の中にあるさまざまな罪と向き合い、また戒めとすることが必要なのである、と。

皆さんには、そういったものはあるだろうか。