人の倫理④
子どものうちは、周りの大人たちからその場所での”ルール”や”マナー”を教わるものだろう。
しかし大人になれば、自分で決めて行動するようになる。
それが、環境的なものである。
要は、自分で学習・体験したことを自分の中に取り入れ、自分で”自分のルール”をつくることである。
それこそ倫理なのだと考える。
大概の人はそれがあるはずなのだが、実際のところそういい切れるほど倫理的ではない。
優柔不断、自分がない、流されるといった特質がある人は本当に多い。
それは、社会で言う”マナー”のない人がその人だけの倫理を持ち、それに則って行動した結果、マナーがないのとは違う。(勿論、それだけの一貫性があればの話しではあるが)
むしろ、前者の方がタチが悪い。
何故なら、人のせいにできるからだ。
何か、不都合が生じると「だってみんなやってるじゃん」という。
そして、「私は一所懸命やっているのに、あなたのせいで全部壊れた」なんて言う。
私はここで、あえて「子ども」になり、こう言わせてもらう。
「そんなものは消えろ!!」
この言葉の本質的な意味が分かる人は、少ないように思える。
そして、ごく稀に私自身もこの言葉の対象者になるのだが・・・orz
しかし大人になれば、自分で決めて行動するようになる。
それが、環境的なものである。
要は、自分で学習・体験したことを自分の中に取り入れ、自分で”自分のルール”をつくることである。
それこそ倫理なのだと考える。
大概の人はそれがあるはずなのだが、実際のところそういい切れるほど倫理的ではない。
優柔不断、自分がない、流されるといった特質がある人は本当に多い。
それは、社会で言う”マナー”のない人がその人だけの倫理を持ち、それに則って行動した結果、マナーがないのとは違う。(勿論、それだけの一貫性があればの話しではあるが)
むしろ、前者の方がタチが悪い。
何故なら、人のせいにできるからだ。
何か、不都合が生じると「だってみんなやってるじゃん」という。
そして、「私は一所懸命やっているのに、あなたのせいで全部壊れた」なんて言う。
私はここで、あえて「子ども」になり、こう言わせてもらう。
「そんなものは消えろ!!」
この言葉の本質的な意味が分かる人は、少ないように思える。
そして、ごく稀に私自身もこの言葉の対象者になるのだが・・・orz