東京での息苦しさから離れて、ちょうど5年。
那須での暮らしを経て、一昨年にこの福島・喜多方へと辿り着きました。
築100年を超える古民家と出逢い、自分の手で少しずつリフォームを進めながら、いまはヒーリングサロンやカフェの準備をのんびりと楽しんでいます。
かつての私は、常に何かに追われるように夢中で働き、世間体や「こうあらねばならない」という見えない枠組みの中にいました。
仕事での役割、肩書き、社会の常識。それらに縛られ、呼吸が浅くなっていた東京での日々を思い出すと、いま喜多方の澄んだ風を感じながら一杯のコーヒーを淹れている時間が、どれほど贅沢で奇跡的なことかを実感します。
"自由"と"豊かさ"の本当の関係
かつて、私の心に深く残ったこんな言葉があります。
"本当の意味で『自由』を理解した瞬間から、
豊かさが面白いように入ってきた"
昔の私なら、"お金をたくさん稼げたら、自由になれるのに"と、逆向きに捉えていたかもしれません。
けれど、暮らしと意識をガラリと変えたいま、この言葉の本当の深さが身体の芯から腑に落ちるのです。
私たちが感じる不自由さの正体は、環境やお金の有無ではなく、「自分と世界は切り離されている」という分離の恐れからくる執着です。
「世間から外れてはいけない」「失ったら生きていけない」という恐怖が、自らの心を檻に閉じ込めてしまうのです。
私たちは、ひとつの海に浮かぶ"波"
けれど、少し視点を上げてみれば、私たちはみな源泉(ワンネス)というひとつの巨大なエネルギーの海に浮かぶ、一筋の波のような存在です。
他人の目も、社会の風習も、元を辿れば同じひとつの源から生まれた現れにすぎません。
そのことに気づいたとき、世間体や"〜ねばならない"という洗脳のような縛りは、音を立てて消え去ります。
誰かと比較して焦る必要も、自分をすり減らしてまで証明すべきことも、最初から何もなかったのです。
心が自由になれば、循環は始まる
先に心が完全に自由になり、「今この瞬間」を心地よく味わい尽くすこと。
欠乏感から何かを無理に奪い取ろうとするのをやめ、安心感のなかで日々の暮らしや場づくりを楽しむこと。
その満ち足りた波動(エネルギー)こそが、一番大きな循環を生み出す土台になります。
お金は自分を守るための防壁ではなく、喜びを分かち合うためのエネルギー。
心が完全に自由になった人のもとへ、必要な豊かさはもっともベストなタイミングで、まるで川の水のように自然と流れ込んでくるのだと思います。
朝早くに草刈りを終え、鳥の声を聴きながら、愛用の手挽きミルで丁寧にコーヒー豆を挽く。
そんな静かで豊かな余白のなかに、すでに人生のすべてが詰まっています。
この穏やかな空気感をそのまま空間に宿しながら、ここ"みろくの間"を訪れてくれる誰かの心がふっとほどける場所を、これからも軽やかに紡いでいこうと思います。
今日も心地よい風とともに、自由な一日を。


