ふと思ったらあの遭難事故にあって、21年目だったよなあと。。。
さっき、FBのとあるスレに書いたのをもう少しリアルに補足してφ(.. )
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今でも忘れないのは、人が遭難して助けられたときに、笑って取材してるアホがおったなあ。。。
大丈夫ですかあ?って笑ってな。
テレビじゃなくて新聞だったけどな。
まあ、全員助かったけどな、一人死にかけたが。
船の予想外の事故で2月の海に飛び込むしかなくてな。
必死で陸まで泳いだとこ、漁師が拾ってくれてなあ。。。
それ一部始終見てたんだよ、その記者。
磯舟でその記者がいるとこまで引っ張られたからなw
その格好見て笑ってたのかは知らん。
でも、必死で陸まで引っ張られて、陸に揚がったが、その時点で一人やばかったんだな。
おらも、救急車中で卒倒したしな。
まあ、助かったからなあ。。
ライフセーフ関連一式装備してたから、記者も変な記事書けなかったみたいだったしなあ。。。
まあ、あのときのこと一部始終書くと。
乗せてもらうことになった、漁船のエンジンが突然掛からなくなって、
急遽バッテリーのせかえて、出港。
その時に止めたら、新聞に載ることもなかったことになるwwwww
船頭さんも必死だ、責任問題だからだ。
すこぶるのべた凪で、風もなく、2月の津軽海峡と思えないほどだった。
この釣りの目的は、カレイの新規開拓。
陸奥湾のカレイ釣りは、当時厳寒期のマガレイ釣りが主力で、釣り場拡大の意味も大きかった。
しかし、カジカくらいしか釣れず、移動してきたのが、与茂内の前沖。陸がすぐ側だった。
そこで、一度エンジンを止めて、また移動するときのこと。
セルが回って、エンジンが掛かったとたん止まった。
あんれ( ̄へ  ̄ ?
とおいらは思ったんだけど、バッテリー積み変えてるしなあ( ̄へ  ̄ ?
と、船べりを見ていると喫水線を越えてる。。。
あんれ( ̄_ ̄ i)?
船頭さんが出てこないのだ、機関室から。。。
どしたあ?
と言うまもなく、
船沈むど( ̄口 ̄ i)
と。。
あらあー( ̄_ ̄ i)
しかし、不思議と同船者(といってもみんな当時の仲間)は、
冷静になり。。。
「ライフジャケットのまたひも、締めろ!」
「クーラーの中身、空けてまれ。ちゃんとふた閉めて、抱えれるようにしろ!」
そこまで冷静になってたのは、陸が近いこと(一人は陸までたどり着いている)
風波もなく、気温も比較的高い(つっても、5℃ない)
それよりも大きな要因は、ライフジャケット全員自前ということ。
ここでライフジャケットのことについて。
船舶点検装備のオレンジ色のライフジャケットは、生きて送還できることを想定していない。
浮力はあるが、またひもが簡単にほどけてしまったり、泳ぎを考えて作られているわけでもなく。。。
オレンジ色の理由は、遺体捜索の目印にするためのもの。
だから自前のライフジャケットじゃないとあかんの。
喫水が船べりまで近づき、
さてと、と
「陸まで300mも無いから飛び込むぞ!」
といっせいに全員飛び込んだ。
なぜかというと、転覆に巻き込まれたらアウトだからだ。
入水した瞬間
「あったけえじゃん」
と思った。そりゃそうだ、水温まだ10℃近いから。
クーラーかかえて陸まで泳ぐ。
そこから、助けられるまでの状況は完全にふっとんでいる。
意識が朦朧とするかしないかのうちに、磯舟がダッシュで飛んできた。
漁師のおやじさんたちは、もう必死である。
磯舟だから、2艘でも全員は上げられない。
陸までもう100mもない。
「ロープでしばってひっぱるどう!」
年長者は、磯舟にあげ、おいらはロープで引っ張られていく。
小砂利浜に磯舟は勢い良く乗り上げ、おいらは足が付いたので起き上がって陸にあがった。。。
とたんに猛烈な振るえと吐き気が来た。
今思えば、低体温症の兆候。
そこは高い堤になっていて、歩いて揚がれるようなところではなく、
そこでもロープで引き上げられた。
そのときだ。
大丈夫ですかー?と半笑いの男。
腕に腕章みたいなもん。。
記者だ。
一気に頭に血が上り、このやろうと行けども、そんな体力が残っていない。
そのまま救急車で搬送。
しかし、2人、足りない。。。
そこで気が途絶えて一気に吐き、そのまま記憶が飛んだ。
意識が朦朧と、正常の間をいったりきたりする。。。
救急車が病院に急停車し、また意識が戻る。。。
そのまま見ぐるみ剥がされ、病床に毛布で簀巻きにされて、横にされて。。。
あったかい味噌汁飲み、ストーブが一人に一つずつ。
船頭さんは一番危険な状態だったが、なんとか意識も戻り。。。
おいらも意識が正常になったころ。
「ああ、いい湯だった。」
見当たらなかった2人。
「あにいい( ̄_ ̄ i)」
実は2人は、船がひっくりかえった後、船が浮いていたので、そこに揚がり救助をまっていた。というのも、磯舟と漁船が向かっているのが見えてたらしい。。。
その2人を助けた船頭は、漁船だったので、無線で車を用意して、当時よく帰りに寄っていた浜名温泉に2人を連れてったらしい。
2人は浴衣すがた。。。うちらは病院服( ̄_ ̄ i)
その後、某釣具店の店長が迎えに来て、
助かったことを確認した(あいつもそのころはいい人間だった)。
彼の車に同乗して帰ってきた。。。
その後、ラジオでうちらの遭難事故のニュースを聞くわ、店に着くと、両親がいるわ( ̄_ ̄ i)
極めつけが新聞の事件欄だったorz
これで会社に隠すわけもいかなくなり(海難審判に出廷する可能性があるため)、
知らない人間は、じいさまのみとなった(じいさまの体調が良くなく必死で隠した)。
その後、同船者とは、さまざまなことで別れていくことになる。
最初は、救助の際のやりとりでのこと、次は、釣具店主のさまざまなことで。
この事故が大きなきっかけで、おいらは鮎釣りを始めることになるのだけど。
もっと重要なことは、危機管理(当時はそんな言葉を知らない)に対する考え方。
この遭難事故で感じたのは、最後は一人の力ということ。
最後の入水までは、みんなの判断力と声がけがすべてだったけど、
入水後は自分だけの力のみだった。
水の中では、救助ボートがあるような船でないかぎり、
集団で行動なんて通常の人間には無理なことだ。
固まれば死を意味するケースが多い。
2人は、浮上した転覆した漁船に揚がったが、6人全員が揚がれる可能性は保障もできない。
生死を判断できるのも自分のみになる。
九死に一生を得たというけど、自身が経験すると、そうとも言いきれない部分が多い。
なぜなら、みな、ライフジャケットとクーラーの用意があり、後は救助のみ。
九死のうち、7死くらいはないことになる。
しかし、2死の可能性はある。
それはもう運くらいしかない。
それが実感だ。
今手元にライフジャケットが3つ。
通常のタイプと自動膨張が2つ。
転落事故が想定できるときと、冬場の船では、通常タイプ。
船釣りで動きがあるものや、サーフでの釣り、比較的安全確保ができる場所は、自動膨張。
大河川で立ちこむときも、自動膨張は使える。
ちなみに、6月の中をすぎれば、河川では鮎タイツで釣りをする。
流されることを想定した装備だ。
どうせ蒸れてしまうから、ウエットで釣ってた方が楽なのですよw