自然と、目から涙が溢れた。一昨日、24日は92歳で他界した母方の祖母の命日。14日にあった三回忌の法要に出席できなかったので、お線香をあげに行った。

 

 お婆ちゃんの最期は悲しかった。「家に帰りたい」と望んで止まなかったが夢はかなわず、老人ホームで息を引き取った。お婆ちゃんの気持ちを思うと、葬式の時もそうだったが、墓前で「お婆ちゃん、期待にそえずにごめんね」と心で言うと、涙が止まらなかった。

 お婆ちゃんからはよく「泰は優しい子だから、きっといいお嫁さんと結ばれるはずよ。その時を楽しみにしてるわよ」と期待されていた。その期待にも応えられず、今に至っている。それも、もうひとつ大事な「ごめんね」で、自分が情けなく、哀しく、時に泣いてしまう。
 

 僕は大のお爺ちゃんお婆ちゃんっ子だ。初孫であり、また母は小学校の教師で、当時は今ほどの産休を与えてもらえず、かつ保育園も満杯だったらしく、そのため3歳まで、東京の世田谷区上祖師谷の祖父母宅に預けられた。だからか、お爺ちゃんとお婆ちゃんには大変お世話になったという思いが強い。お爺ちゃんもお婆ちゃんも、初孫誕生がとても嬉しかったのだろう。本当に良く可愛がってもらった。

 

 お爺ちゃんは僕を背負って、近くの京王線の千歳烏山と仙川の間の空き地に、毎日のように連れて行ってくれた。だから今でも僕は京王ファンなのだろう。お婆ちゃんは三鷹市大沢の前実家まで、僕が小学校を卒業するまで、平日は“子守”をしてくれた。

 
 でも、お爺ちゃんは1993年、88歳でお婆ちゃんより先に逝ってしまった。その後、お婆ちゃんは急速に元気を失った。認知症になってしまい、ただただ「早くお爺ちゃんの所に行きたい」と繰り返すようになってしまった。

 最期の方は寝たきりで言葉も喋れなくなってしまったが、ただ、僕が両手でお婆ちゃんの手を握ると、お婆ちゃんには何か伝わるものがあったのか分からないが、涙し、僕も気の毒で涙した。

 他界した時は悲しさもあったが「お婆ちゃん、お爺ちゃんのところに行かれて良かったね」というのが真なる僕の気持ちだった。

 
 お爺ちゃんお婆ちゃんが眠る浅草のお寺さん狭い。通路は人がすれ違えられないほど狭く、お墓もぎゅうぎゅうだ。でも、お爺ちゃんと一緒。
 「あの世でもお爺ちゃんと行き会えて、安らかに過ごしているといいね」
 そう語りかけ、今までもこれからもお墓の世話をしてくださる住職さんに感謝し、東本願寺が目の前の寺町を後にした。