1968年の小笠原諸島の返還時に、米軍による核兵器の持ち込みを巡り、日米両政府が秘密協定を結んでいたことを示す文書が見つかった。
在米日本大使館の関係者と米国務省のフィン日本部長との懇談から判明した。
この文書は沖縄返還が決まった日米首脳会談の約2週間前の69年11月5日の「特秘公電」。
在米日本大使館から愛知揆一外相へ送られた。フィン部長は沖縄から核を撤去した後の有事の際の核再持ち込みに関して「緊急持ちこみをどう表現するかということであり、オガサワラのような秘密協定も一つの方法であるが、これも100%満足すべきものではない」と言及している。
小笠原返還時の日米合意が「密約」であるとの米国側の認識を示したもので、小笠原返還の際の「秘密協定」が、返還後の沖縄への核の再配備を認める密約の先例になった可能性もある。
米海軍施設があった父島には65年まで、米空軍基地があった硫黄島には56~59年の間、それぞれ核が貯蔵されていたとされる。
日米両政府は小笠原返還時に、両島への核再配備を日米間の事前協議の対象とすることで合意。米国側はこの合意を「密約」とみなし、有事の核再持ち込みが可能であると判断していたもようだ。