このブログは

僕の日記でもあるので

書かせていただきますね


大好きな母が

お父さんのところに

行きました!


11月13日の朝でした

笑点の挨拶で1週早く

誕生日おめでとう!

を言ったのも

ギリギリだったから

でも次の週

8日の85歳の誕生日も

頑張ってくれたので

姉、兄、私の三人で

ハッピーバースデーの

歌を唄ってあげられました!


コロナのせいで

9ヶ月間、母の施設に

行けませんでした

危篤と言われてからは

限られた時間を頂き

母との時間を過ごすことが

出来ました!


たくさん働いたお母さんの手

(3年前、二人で花見)

何も食べなくなってから

十日間も頑張りました

部屋には大好きな

美空ひばりさんの歌を流し

一日でも長生きして

一緒にいられるようにと。


愛情深いお母さんでした

これは大好きな写真
(小6のお祭りの時)

僕たち子供達ばかりではなく

周りのすべての人に愛情を

惜しまずかける人。

叱られたりしたことは

一度もありません

常に子供の味方になって

理解を示してくれました

仕事で母に出会った人は

みんな大好きになり

みんなのお母さんに

なりました

僕がいなくても秩父まで

みんなが母に会いに。


加納有沙アナウンサーも

みんなみんな!


夫婦で営んでいたテーラーを

畳んだあと

駄菓子屋さんを

やってみないかと勧め

[だがしやたいへい]が

スタート!

数年前に実家に帰ると

二十歳くらいの若者二人が

子供の頃、世話になった

駄菓子屋のおばさんに

会いに来た!と言って

訪ねてくれてました!

本当にみんなの

お母さんだったんです

おしゃれで美人で

人の面倒をみるのが好きで

眠りながら

お父さんのところに

あんなに面白いおしゃべりな

お母さんが何も喋らず。

たぶん僕たち姉弟の名前を

最期に呼ばれたら

悲しすぎてどうにか

なってしまうだろうと

思ってのことと思います

落語家になったのを

一番喜んで

応援してくれたのも母でした

以来、《明》ではなく

《たい平》と僕のことを

呼ぶようになりました

それは落語家の息子を

誇りに思ってくれたから

だと思います!


だから先日の新宿末広亭は

休まず秩父からの往復で

勤めました!

「あんたを待ってるお客様が

 一人でもいたら、行って

 笑顔を作るのが

 あなたの仕事です!」と

母なら言うと思って。


まだまだ語り尽くせませんが

出会ったたくさんの人を

笑顔にしたお母さん!

足元にも及びませんが

僕もお母さんに負けないよう

たくさんの笑顔を

作っていきます

天国でお父さんと仲良く

一杯やってください

皆さんの母

私の母であるツヤ子と

出会った方々、本当に

ありがとうございました!

すごく幸せな顔で

お父さんのところに

行きました。

お母さん

新聞に載ってるよ


すごいね!

お母さんの子供で

本当に本当によかったです

ありがとう。