早くに皆さんに報告をと思っておりましたが、やっと報告できます。




改めて、皆さんの応援、そしてコメントに感謝です。




21日早朝、たい平、ドラ落語を一緒に作っている小学館の小野さんとお仲間、そして『落語家林家たい平』をずっと見守ってくれている、あの『電波少年』を作った長濱さん。社長に自らお願いして休みを取って来てくれました。長濱さんは、数々のミッションを無事クリアーしたロケの時に着ていたオーバーオールをわざわざ着てきてくれました。




東北道をひた走り石巻に。 




炊き出しを手伝ってくださる石巻グランドホテルに10時30分に到着。 




今回ご自分も被災されているのにも関わらず、窓口・調整役をしてくださったホテルの小野寺さんから「まずはどういう状況になってしまったか見て下さい」と日和山に案内されました。




日和山は私にとっても大切な場所で、大学時代、この山の上で落語家になる決意をした場所なんです。25年ぶりに見た石巻は、変わり果てた姿になっていました。



跡形もない  この言葉の意味を目の当たりにしました。  




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一人でも多くの人に会って元気付けたい、そんな想いで市役所で並んで待っている皆さん、石巻駅で何時間も来ないバスを待っているおじいさん、高校生。たくさんの人達と話しました。




地震の二日前に赤ちゃんが生まれ、そのために自宅ではなく病院行っていて助かったご家族。 赤ちゃんには<なぎさ>と名前をつけたそうです。「この子に助けられた命だから」と。




友達のいない学校に転校しなければならないとお母さんから説得されても、ずっと嫌だと拒んでいた少年にも会いました。笑点が大好きなんだそうです。「辛いけど、君が大きくなるための出会いが必ずあるよ」こんな言葉しかかけられなかったけど、「たい平さんに言ってもらえたから新しい学校で頑張る」って言ってくれました。 




「あの日からずっと逃げてきた時と同じ洋服だぁ、着替える気にもなれねぇ。あったけえもんがくいて。懐中電灯買いにきたけどみんな売り切れだった。」 優しそうな大きな手はひび割れていて、僕ができる事は、手をさすりながら「元気で長生きしてね」ってそれしかできなかった。




壊れた商店街の向こうから僕を見つけて走ってきて抱きついてくれたお母さん。




炊き出し会場には200人を超える人が集まってくださいました。小野寺さんに「みんな一番たべたいものは?」って聞いたら「お肉!」って。お肉たっぷりのすき焼き丼と、僕の行きつけ近所のおきなわ料理『おもろ』のお父さんが、前の日から寝ないで煮込んでくれた200人前のモツ煮込み。 




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みんなおいしい、おいしいと言って食べてくれました。そしてありがとう!って。



サインをして握手したら、僕の手が冷たかったんですね、小学生の女の子が「ホカロンあげる」って。「いいんだよ、あなたが使いな大丈夫だから」と言っても僕の手に握らすんだよ。こんな状況のなかで、ひとのこと思いやることができる、優しい人になるね。




夜は商店街の復興を目指すメンバーの激励会。



その後、忙しいなか合流して炊き出しまで手伝ってくれた宮城テレビの相楽さんと長濱さんとで、お金をここで使わなくちゃと、頑張って店を開いているところをたずねて激励、宮城の酒を飲んで、お客さん、従業員の皆さんとも握手。




2日目 朝6時起床。



しっかり眼に焼き付けておきたい。そんな気持ちで商店街を歩き、日和山の脇をぬけて津波の被害をいちばん受けた街へ。約2時間。自分の家があったはずのまわりを無言で歩いている人に何人も会いました。

瓦礫の撤去だけでも何年かかるのだろうと、途方に暮れる。




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9時30分、大街道小学校。ようやく授業が始まった子供たちに会いに。1年生から6年生までクラスを回り、扇子と手ぬぐいを使いエアーうどんに、エアーだんご。みんな大笑いしてくれた。6年生には、いま僕が想う事を聞いてもらいました。元気を届けるはずが、子供たちからたくさんの元気をもらいました。名残惜しそうに何度も握手にきてくれました。





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二階の教室は避難所になっていて、たくさんの皆さんが不自由な生活をしています。リーダーのお母さんのもと、心をひとつにして笑顔で気丈に暮らしています。全国の自治体から派遣された職員の皆さんも誠心誠意尽くしていらしゃいました。そんな皆さんとも記念撮影。あるおばあちゃんから「津波はつらかったけど、お陰でたい平ちゃんに会えたよぉ、うれしいよぉ」なんて言って下さるんです。涙が出そうでした。




リーダーのご夫婦が校門まで見送りに来てくれました。後ろ髪引かれながら再び訪れることを約束して、石巻をあとにしました。




名取市を目指します。仙台空港近く閖上地区、妻のおじさんも亡くなりました。石巻とはまた別の見たこともない景色が広がっていました。見渡す限り。その光景の前では、ただ立ちすくむだけ。




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閖上地区の皆さんが避難している高舘小学校体育館と舘腰小学校体育館へ。




小野さんが用意してくれたドラえもん全巻の威力はすごくて子供たちはあっという間にドラえもんに釘付け。子供たちの張り詰めていた心の中にドラえもんが未来の夢を運んでくれました。僕は子供向けらくご全集を。笑ってくれるといいけどなぁ。一人でも多くの心に寄り添おうと我ら7名、お話したり、マッサージしたり、子供と遊んだり。



長濱さんは打ちひしがれて心を閉ざしたままの方とじっくり寄り添い話を聞き、話をしてくれました。おかげで最後は僕のところまでサインを取りに来てくれました。体育館のなかぜんぶ回った後、僕は一人ひとりの顔を見ながら紙に筆で言葉を書き続けました。僕が帰った後も、皆さんを元気付けられる言霊が残せればいいなと。


やさしい顔をした80歳のおじいちゃん「生き残ったのは俺と孫だけだぁ、後はみんないなくなっちまったぁ」って。

この孫は高校生くらい、一生懸命避難所でお手伝いしてました。「おじいちゃんやさしいか?」って聞いたら「おっかねえ!」って。おじいちゃんの生き様をみて、強い男になってほしい。

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舘腰小では、避難所のリーダーから「楽しい話をしてみんなを笑わせてやってください」と言われて、いっぱい小噺やりました。すっごく笑って喜んでくれました。落語やっていてよかったです。



避難所のみんなと、また会いに来ること約束しました。絶対行きますからね。宮城テレビの相楽さん、ずっと避難所の情報のケア、調整そして一緒にいてくれてありがとう。東京で後方支援してくれたみんなにも感謝です。




福島県内、石巻、そして帰り道、名取から白石インターまでの道沿い、何度も夢を見ているかのような美しい桜並木をみました。本当だったら東北の皆さんがいちばん待ちに待っていた季節だったことでしょう。




桜は言っていました「本当は僕たちも咲くの辛いけど、今咲くのを止めたらいけないんだよね。歩みを止めたらいけないんだよね。うつむいてしまった人のためにも咲きつづけます。上を向いて歩いて欲しいから」



小さな車2台で行ったのでたくさんの物資は届けられなかったけど、たくさんの元気と笑顔を届けられたと思っています。でも気がついたら出かける前よりもたくさんの笑顔を積んで帰ってきていました。




ブログをご覧の皆様、被災地の一人ひとりの心に寄り添いながら、一歩一歩手を取り合って歩いていきましょう。よろしくお願い致します。










日和山  春告げ鳥が  鳴いていた