夏休み3日目/その1 | Tahnyaオフィシャルブログ うたた寝

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アコースティックユニットTahnyaのうたた寝な日常

2015/07/29 (wed.)

北海道の朝は、空気がヒンヤリして気持ちよかったです。毎朝すぐに目が覚めました。

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宿の方から頂いた朝採れミニトマト(もはやミニじゃない)。この日の朝ごはん代わりに食べました。なんとトマトでまんぷく!肉厚で、みずみずしかったな~。(ちなみに次の日は夕張のメロンでした♪)

宿の方に小樽のことを色々と教えてもらい、中でもおすすめだった街外れの『北運河エリア』に行ってみることにしました。

最初に出会ったのは、旧手宮線の通称 “ゼロ・マイル” でした。
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明治初期に造られた北海道初の鉄道だそうで、幌内/ホロナイの炭鉱でとれた石炭を、小樽の港から各地へと輸送するために敷かれたそうです。線路に生い茂る夏草が、なんとも良いですよね。

実は街の中心部にも同じ鉄道跡は残っているのですが、きれいに整備されており、手付かずの風景が見られるのは今や、上の写真に写るわずか百メートルほど。でもこの場所もすでに整備が決まっているそうなので、近々行かれる方は是非見てみてください!当時の面影や行き交う人々が見えてくるような、貴重な場所だとおもいます。

こちらが中心部の手宮線跡。↓
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次に出会ったのはこちら。
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どなた様かのお屋敷みたいですよね。ちょっと寂しげな北運河エリアに突如現れたのでビックリしました。

近付いてみると、更に重厚感が。
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おそるおそる入ってみると、なんと日本郵船の旧小樽支店、つまり会社でした。(支店なのに何てゴージャスなんだ(*゚▽゚*)) 

正直建物のことはよく分からなかったけど、見学ができるとの事だったので、ちょっと涼んでいこうかなぁくらいの気持ちで入館しました。ところがそこで、旅の運命を左右する大きな出会いが訪れたのです。

「よろしければご説明致しましょうか?」と、一人のおじさまが声を掛けてくださいました。時間だけはたっぷりあったので、是非にとお願いしました。

おじさまは学芸員のお一人で、建物の成り立ちから、こまかな仕組みや、会社のこと、当時働いていた人達のようすや、小樽の歴史に至るまで、実に様々なことを、映像を見せるかのようにお話してくださいました。

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当時の接客カウンター。寿司屋も仰天の一枚板です。(‼︎)

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そのカウンター上に設置された柱。見えているのは飾りで、中に本当の柱が埋め込まれていました。どんな方法で作られたのか、未だに分かっていないのだそうです。

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銀行の金庫並みに分厚い壁。(2m近くありました。) 以前は木造の建物だったのですが、火災で焼失してしまったため、再建の際このような造りにしたのだそうです。

壁の他にも、外部からの火を防ぐためにこの時代には珍しい防火シャッター(写真中央の黒い部分)を取り付けたり、北国には欠かせなかったストーブをスチーム暖房にしたり、非常口を金庫の中につくって、火から逃れながらも大切なものを運び出せるようにするなど、たくさんの工夫がされていました。

その資材(技術)のほとんどは当時の日本にはなかったのですが、日本郵船さんなので、海外で買い付けたり取り寄せていたそうです。(スゴシ‼︎)

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(ちょっと分かりずらいけど) 表面が波打っている手製の板硝子。このころ日本には球体のガラスしかなかったので、ベルギー製だそうです。

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扉も大きさが全然ちがう!(左が日本製) ちなみにここが金庫。入口のダイヤル(今でいう暗証番号)の部分が “イロハニホヘト” でした。代々、支店長が好きな唄の一節を暗号にしていたのだとか!

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こちらは二階にある会議室。日露戦争のあと、北の国境線を引くためのロシアとの重要な会議がこの場所、日本郵船 小樽支店の会議室で行われたそうです。

小さな島国・日本にとって北海道が大変重要な土地であると共に、ロシアにとっても北海道、中でも小樽は、“凍らない港” としてとても魅力的な場所だったそうです。それらを守るためだったのでしょうか、戦争に勝利した日本側が、ロシアからのお客様を上座に座らせおもてなしをする写真などもありました。

この他にも本当にたくさんの事を教えて頂いて、わたしは小樽という街に興味を持ちました。すると学芸員のおじさまが、「それなら小樽の総合博物館に行ってみるといいよ」とすすめてくださったので、この度のテーマを “小樽の歴史と人々のくらし” (立派っぽい笑) に決め、共通入館券を購入し、日本郵船をあとにしました。

~つづく。

※記憶と記録を頼りに書きましたが、間違っている箇所があったらごめんなさい!