北海道の朝は、空気がヒンヤリして気持ちよかったです。毎朝すぐに目が覚めました。
宿の方に小樽のことを色々と教えてもらい、中でもおすすめだった街外れの『北運河エリア』に行ってみることにしました。
最初に出会ったのは、旧手宮線の通称 “ゼロ・マイル” でした。
実は街の中心部にも同じ鉄道跡は残っているのですが、きれいに整備されており、手付かずの風景が見られるのは今や、上の写真に写るわずか百メートルほど。でもこの場所もすでに整備が決まっているそうなので、近々行かれる方は是非見てみてください!当時の面影や行き交う人々が見えてくるような、貴重な場所だとおもいます。
こちらが中心部の手宮線跡。↓
近付いてみると、更に重厚感が。
正直建物のことはよく分からなかったけど、見学ができるとの事だったので、ちょっと涼んでいこうかなぁくらいの気持ちで入館しました。ところがそこで、旅の運命を左右する大きな出会いが訪れたのです。
「よろしければご説明致しましょうか?」と、一人のおじさまが声を掛けてくださいました。時間だけはたっぷりあったので、是非にとお願いしました。
おじさまは学芸員のお一人で、建物の成り立ちから、こまかな仕組みや、会社のこと、当時働いていた人達のようすや、小樽の歴史に至るまで、実に様々なことを、映像を見せるかのようにお話してくださいました。
壁の他にも、外部からの火を防ぐためにこの時代には珍しい防火シャッター(写真中央の黒い部分)を取り付けたり、北国には欠かせなかったストーブをスチーム暖房にしたり、非常口を金庫の中につくって、火から逃れながらも大切なものを運び出せるようにするなど、たくさんの工夫がされていました。
その資材(技術)のほとんどは当時の日本にはなかったのですが、日本郵船さんなので、海外で買い付けたり取り寄せていたそうです。(スゴシ‼︎)
小さな島国・日本にとって北海道が大変重要な土地であると共に、ロシアにとっても北海道、中でも小樽は、“凍らない港” としてとても魅力的な場所だったそうです。それらを守るためだったのでしょうか、戦争に勝利した日本側が、ロシアからのお客様を上座に座らせおもてなしをする写真などもありました。
この他にも本当にたくさんの事を教えて頂いて、わたしは小樽という街に興味を持ちました。すると学芸員のおじさまが、「それなら小樽の総合博物館に行ってみるといいよ」とすすめてくださったので、この度のテーマを “小樽の歴史と人々のくらし” (立派っぽい笑) に決め、共通入館券を購入し、日本郵船をあとにしました。
~つづく。
※記憶と記録を頼りに書きましたが、間違っている箇所があったらごめんなさい!