《 清田城・小岳城址 》

 大分市南部上判田小岳の山城/清田太郎直時以後、清田家の居城

   「 源頼朝の時代、緒方三郎惟栄の次男野尻次郎石見守惟村が小竹を開き、700年前鶴ヶ城主
     戸次重秀 の長子清田太郎直持が小岳城主となり、最後は400年前野尻紀伊守惟村が城主
     となるが、天正14年 乙津川で戦死し、小岳城は焼かれた               」

                 ~ 城址案内板・元大分県会議員野尻哲氏建立 より ~

 城跡に小岳神社が鎮座する。
 神社脇には城址案内板を建てた野尻さんの家が建つ。

 野尻邸は天守閣の姿をしている。
 案内板にあるように鎌倉期初頭は「野尻一族」が小岳城に居城していたが、大友家臣の清田が略取
 した。

 パパ執事は、随分昔に野尻邸を尋ねた事があって、

「現代になって、清田一族から小岳城を野尻が奪還したということよ」

 と、天守閣の中程の応接に引き入れた、清田一族の末裔である客人を前にご満悦でした。

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            @ 小滝城址がある小岳山遠望

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   @ 野尻さん建立の案内板/野尻二郎惟村の事

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   @ 野尻さん建立の案内板/清田太郎直時の事

イメージ 4 @ 近世天守閣の形の野尻邸