今年の9月13日で、青森市出身の版画家、棟方志功の没後50年を迎えた。日本全国、彼の名前と作品の雰囲気を知らないと言う人はほぼいないのではないだろうかと思う。牛乳瓶の底の様なレンズの眼鏡をかけて、版木に顔を埋める様にして彫る姿は目に焼き付いている。
生粋の青森市民である彼は、郷土への愛情にあふれ、版画、油絵ともふるさとの風景を描いたものも数多く残されている。合浦公園、八甲田、ねぶた祭り。郷土の風土を身にまとい、ねぶた囃子を心に宿し、澱みない青森訛りで力強く楽しそうに語る彼は、我が誇りである。
彼は、油絵画家を志して21歳で上京するもなかなか評価されず、出会った版画で才能が開花する。その後の活躍は目覚ましく、世界的にも高く評価された、唯一無二の作風を持つ版画家である。
一方で、青森市の中心部の住宅街にある棟方志功記念館は、来場者数の減少と維持費の負担により、1年半前に閉館を余儀なくされた。惜しむ声も多い中、行政としてはもう少し何かできなかったのだろうかと思ってしまった。その後、作品の殆どは青森県立美術館に移されて、記念館より広いスペースで現在も展示されている。
棟方志功は、戦時中疎開した富山県南砺市(旧福光町)に強く惹かれ、この地で多くの作品を制作した。南砺市では『世界の棟方』の偉業を讃え、この地との繋がりを誇りとして棟方志功記念館を運営している。
最近、このニュースに触れる度に寂しくやるせ無い気持ちになる。いっときを過ごした地で棟方志功が顕彰されているのにも関わらず、故郷青森市で閉館を余儀なくされる記念館。作品は大切に保管され、引き続き展示されてるのだが、やはり悶々とする。
青森市は版画の街である。当然、棟方志功の功績によるものが大きいが、僕らは小学3年生の頃から中学を卒業するまで、毎年一枚は版画を彫った様に記憶している。
しかし、版画の街として教育活動にその形を残すことのみならず、やはり棟方志功の人と為りをもっと子供達にも知って欲しいと思う。
ちなみに『わだばゴッホになる』とは津軽弁で、『私はゴッホになる』と言う意味である。