昨日、市内の整骨院で腰を調整してもらった。JKDサクラダスポーツメディカル接骨院は僕の腰を守ってくれる大切な存在だ。院長の桜田先生は足首から膝、腰、背中、肩に至るまで、『ズレ』に着目して治療を施してくれる稀有な存在の接骨医だ。あまたある整形外科ですら回復しなかった患者さんも調整して回復に向かわせる。整形外科医は痛み止めで様子を見るばかりになりがちだが、『実(じつ)』のある治療を施してくれる。
痛みに呻き声を上げるのを必死に堪えながら、とても楽しく話をした。
僕の母方の家族は浅虫出身で、墓参りのタイミングで小さい頃から浅虫には何度も訪れていた。桜田先生は僕の6つ下で、隣の集落、久栗坂の出身。良くトンネルを抜けて浅虫に遊びに行ったのだそうだ。
昔の浅虫の話で盛り上がった。
今はバイパスが海沿いに通っているが、昔は温泉街を抜けるように浅虫温泉駅の前の通りを行き来していた。バイパスの無かった頃は、青森湾側に立ち並ぶ旅館の裏はすぐ海で、風情があるとともに、足元で釣りが出来たようにも記憶している。
芸者さんもいて、映画館もパチンコ店もあった。しかし、全国的にも有名な温泉地だった面影はかなり薄れてきている。
桜田先生は、湯の島神社の宮司をされている。長年宮司不在で荒れて行く神社の存在を見るに見かねて、接骨院をしながら勉強をして宮司になるための試験に合格した。そのために、Bリーグの青森ワッツの専属トレーナーを辞した。想いの強さが伝わる。
桜田先生は今、浅虫を盛り上げようと地元の識者と一緒に活動をしている。それは未来である。それぞれの子供時代の思い出は輝いていた時代を想起させてくれる。一方で未来を見据えている。記憶の断片が繋がり、現在を通り越して未来を形造る不思議な感覚だ。
先生の活動に刺激されて、僕も何かしたくなる。昔の浅虫温泉を舞台にした小説でも書こうかと心が揺さぶられる。