藤井フミヤさんと弟の藤井尚之さんが、F-BLOODのツアーで青森を訪れて、『ねぶたの家ワラッセ』を訪れたとInstagramで投稿があった。その中で触れていたように、青森ねぶたは寺社仏閣とは関わりのない民間の祭りである。
その歴史は古いが、近代で言うと町会町会でのねぶたを地域運行しながらも、次第にねぶたが大型化してゆき、やがて企業や団体の資金援助で、地域を超えた合同運行の形をとるようになってゆく。一方で、地域ねぶたもまだ幾つかは残っている。
これもフミヤさんが触れていたが、題材はそれぞれのねぶた師が考える。多くは中国の古事か日本の歴史上の出来事や猛者たち。そして神話の世界などである。デザインもまたねぶた師に一任されているが、そのベースは、下絵と呼ばれる一枚のねぶた絵である。ねぶた師は二次元のねぶた絵から立体を想像し、設計図なしで骨組みを組んでゆく。逆に言うと、下絵の段階で既に立体が見えていると言っても過言ではない。日々ねぶたの事しか考えていないとは言え、恐ろしい能力である。
源義経や八幡太郎義家など武芸に優れていた歴史上の人物が題材としては思い浮かぶ。しかし、全国区ではなくとも、青森県人や北東北人が誇りに思う豪族の長や武士がいる。ひとりは、蝦夷の頭領と呼ばれ、700年代に北東北の豪族をまとめ、坂上田村麻呂と戦い、鬼と恐れられたアテルイである。最終的には人々を守るために降伏し、京に連行されて斬首される。
僕は、子供の頃から、坂上田村麻呂が素晴らしくて勇ましい人物だと錯覚していた。ところが実情は、より大きな勢力に凌駕されたが故に残らなかった名前、残らなかった歴史だったと言って良い。子供の頃に坂上田村麻呂が強い人だと、僕たちが知っておくべきヒーローだと刷り込まれたのは残念で仕方ない。
地元には地元のヒーローが存在する。
例え敗れて斬首されようとも、僕達の先祖を守ろうとしたことは疑う余地が無い。
中央集権の政治にはうんざりしてしまう。