ウォーキングついでに、子供の頃、5歳から7歳までを過ごした家を探せないかと彷徨ってみた。以前もトライして探し出せなかったが、今回はどうだろうか。

 小学校前の通りを左に進み、踏切を越えて間もなく、通りの向かい側に大きな銭湯があった。確か『花の湯』。しかし、それらしき建物は既に無く、空き地の感じや新しく建っている家の雰囲気などを記憶に照らし合わせてみる。

 ここと思(おぼ)しき角を、まるで今でも銭湯があるかの様な感覚で左に入っていく。少し細めの住宅地の通りを50メートルほど進み、右に折れる。ここまでは記憶と合致している。そして30メートルほど進むと左に畑があるはずなのだが、住宅が連なったまま通りが伸びているだけだ。子供の頃は、左に広がる畑の縁(ふち)の小道に入り、30メートルほど進んで家の裏手にぶつかったのだが。

 仕方なく、通り過ぎて細長い区画を回り込む様に左に曲がり、すぐまた左に曲がる。畑があったであろう辺りの裏の家を見ても、感じるところは何も無い。やはり建物が軒並み変わってしまっていれば思い出と結びつこう筈が無い。悲しくも清々しい時の流れである。

 反対方向に向かってみると、小学校入学前に通った保育園が確かにある。今も子供のはしゃぐ声が広がり、園長先生らしき人があちらこちらに向けて声をかけている。僕がお世話になった園長先生のご子息だろうか。


 はっきりとこの家の辺りと分かったわけでは無いが、この地に居たという確信は湧いた。ここで遊び、裏の畑のとうもろこしを食べ、近くの席で木っ端の船を浮かべた。


 借家住まいで、裕福でもなく、物もなかったが、確かに僕はここで育ち、旅立った。


 機会を見て、また立ち寄りたいと思う。