僕が小さい頃はテレビも各家庭には無くて、ウチにテレビが来たのは小学校2年生の時だった。そんなもんだから、遊びと言っても限られてくると思われるだろう。ところがどっこいである。生活の周りにはたくさんの『遊び』が転がっていた。
今は物置もホームセンターで注文して買って据え付けてもらうが、昔は大工さんに拵えてもらった。家も普通に木造で建具やサッシをユニットでポンと付けるのではなく、とにかく大工さんに頼んだものだ。
となると、自分の家で大工さんが作業をしていなくても、歩いて5分位の近所のどこかでは大工さんが作業をしていた。家を新築するとなると、同じ場所に3ヶ月も大工さんがいることになる。
大工さんが仕事をしているということは、木材の端材が必ず出る。僕は小学校に入る前から、大工さんにお願いして木材の切れ端をもらった。加えて、曲がった釘も必ず落ちていたので、それももらった。どの大工さんも面倒がる事もなく、いつも優しく持ってっていいよと言ってくれた。
持って帰った端材と釘で、いろいろなものを作った。一番作ったのは船だった。持って帰ってきた中で一番大きな端材の上に、もう少し小さい端材を載せてトンテンカン。その上に、操舵室に見立てた、できれば薄くない端材をトンテンカン。釘は最初から少し曲がっているので、打ち切れる事はほとんどなく曲がって端材に埋没する。
出来上がったら、船首に釘を打ち、糸をくくりつける。そして小さな川というか大き目の堰に浮かべると、船首が水を切ってあたかも大海原を進んでいるかの様に見えてくる。ただひたすら紐を掴み、船ならぬ船を眺めて時は過ぎてゆく。子供ながら至福の時だった。
何も無いところから想像して遊びを見つける。自分なりに新しい遊びを見つけるのは、才能が必要だったし、当時の子供達の必然だった。