13年前に対馬市のお寺や神社から三体の仏像などが盗まれた。韓国の窃盗団による犯行だった。既に裁判は結審し、有罪判定が確定している事件である。
ところが、その仏像はどこへ行ったかと思いきや、韓国の浮石寺で保管されていた。今般の経緯はさて置き、倭寇の騒乱時に日本に持ち去られたもので、14世紀から仏像を安置していたと浮石寺では主張している。倭寇では多数の略奪行為があったと記録されているので、十分あり得ることだと思う。
地裁判決や控訴審、そして地方高裁での判決など一つ一つについては書かないが、5月12日に無事対馬市の観音寺に仏像が返還された。
この様な経緯の場合、社会通念的には、いや現代社会を生きる僕たちの感覚からすれば、どちらの所有物と判断するのが適切なのだろうか。多くの法治国家では、一定の年限を経た時に所有権が喪失すると解釈し、法文化されている。当然、韓国でも同じで、数十年単位で区切られていたと思う。つまりは、現代法の基では対馬市の観音寺の所有が妥当とされるのである。
しかし、事は簡単では無いだろう。裁判所の決定がどうであれ、長い期間日本側で安置されてたとはいえ、元のまたその元を辿れば韓国の浮石寺の所有だったのだから。
大英博物館では、もの凄い数のエジプトの文化財が保管、管理されている。元を正せばフランスが所持していた遺物を戦勝品としてイギリスに持ち帰ったり、発掘に赴いた調査隊を中心に研究支援のためと称して持ち帰ったりしたものだ。
近年では、ロゼッタストーンやツタンカーメンのマスクの返還が話題になったが、正しい所有者の定義は世界的に見ても擦った揉んだするややこしさを抱えていると言える。
これは誰のもの?と言う問いは、この土地はどの国のもの?という論議に似ている。ロシアによるウクライナ侵攻や、インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方などなど。細かい話をすればきりが無い。
いずれにせよ、平和的な解決が模索されなければならないと思う。