学生時代、僕は弘前にある大学へ青森から電車で通っていた。弘前駅までは青森駅からおよそ1時間。JRの鈍行列車に揺られて行く。家から青森駅まで、弘前駅から大学までの道のり、電車待ちの時間などを足すと、毎日、往復4時間を掛けて通っていたことになる。


 当時の客席は向かい合わせのボックス席で4人掛けで、座面と直角に背もたれが据え付けられていた。窓を開ける為には、窓の下の部分、左右両側にある金具を指で挟んだまま、持ち上げなければならない。大体は4人席に友達と座っていたので、友達との共同作業で窓を開けていた。

 電車の時間はおおよそ2時間に一本くらい。最後のコマを受けると、青森に向かう電車は6時半頃だったと思う。電車は街を抜け田んぼの中を走り、また小さな街を抜けてガタンゴトンと駆けて行く。宵闇が迫る時刻に弘前を出発した電車は、すぐに闇に包まれて行く。

 秋が深まりつつある10月下旬、夜の列車は稲刈りが終わった田んぼを走って行く。すると、所々に赤い炎がチロチロと見える。点々と、遠くに近くに。刈った稲を乾燥させてから集めて燃やす藁焼きだ。

 明るい時間帯の藁焼きは炎が目立たず煙ばかりが見える。夜の藁焼きは煙が目立たなくなり、炎の赤だけが揺れて見える。この情景が好きだった。できれば客車の電気を消して貰いたいと思うほど魅力的だった。


 今では藁焼きはほとんど見かけない。煙による健康被害を考えると、規制されて当然だと思う。また高速道路では、滞留した煙によって視界が極端に悪くなり、事故が起きたりしていた。


 今ではもう見ることの出来ない藁焼き。僕は夜の闇に無数の炎が揺らめくあの光景が忘れられない。