JR福知山線の事故から20年が経った。当日、僕はデスクワークをしていて、調べものでネット検索をしようとしたところ、Yahooのページに現れた記事に愕然とした。言葉は理解できるものの、正直、現実味に乏しく、今で言うフェイクニュースの様に感じた。記事を読み進むと次第次第に事の重大性が見えて来て、近代日本で起きるはずのない、起きてはならない事故が起きた事が現実なのだと思い知らされた。

 近くの仲間に教えると、みんなそれぞれ自分で確かめようと記事に向かった。体が震えそうなくらい怖いと感じたことを覚えている。そして、『なぜ』こんなことが起きたのかが分からなかった。

 事故後、調査が進むと、定時運行至上主義が強く影響していたことが明らかになった。事故車の運転士は定刻運行を何度か指導され、直前にも停止位置に止まれず注意されるなど企業内でのストレスにさらされて、遅れを取り戻そうと速度を上げたとみられた。

 事故車を運転していたのだから最初に責められるべきはやはり運転士だろう。しかし、ミスを注意したり叱責したりするだけで人は変われないことがある。特に、人の命と財産を守らなければならない交通事業者としては、運転士がストレスを抱えて解決策をスピードに求めてしまう危険性も想定しなければならなかっただろう。

 既に様々な角度からの裁判も結審しているのでこれ以上は述べないが、想定外のこととして語られたことで思い浮かべるのは、東日本大震災での福島第一原子力発電所での電源喪失事故である。放射能汚染を防ぐ為の闘いは今もなお続き、おそらくはあと30〜50年は平気でかかるだろう。


 様々な事業でそれぞれの事業者があらゆる角度から危険性を予測し検証して安全対策を施す。しかし、結果としては想定外の事象、事故は一定の期間を経てまた起きる。事業内容が違い、人的要因と自然現象と原因が違えど、また起きるのである。


 決して責めているのではない。誰しもが想定できない事が起きているのだから。しかし、ストレスにさらされればスピードを出すかもしれない、もっと大きい地震だと津波を被るかも知れないと、想定外をもう一段引き上げないと、同じ事がまた起きると思う。


 政府や各規制委員会も含め、国全体で、あらゆる事業で進めなければならないと思う。