客船やフェリーは、ゆっくりとその地を離れて行くことから、別れの瞬間を別れの時間に変えてくれる。今でこそ少なくなったが、昔は船から多数の紙テープが飛び、岸壁に居る見送りの人たちがその紙テープを手にしながら手を振り続ける光景が良く見られたものだ。
3月13日は青函トンネル開業記念日だ。
青函トンネルの開業以前は、青森と函館を結ぶ青函連絡船が就航していた。人と物を北海道へと運ぶ重要な航路であり、僕も小学校や中学校の修学旅行で往復乗船し、旅の思い出の一部となっている。
北海道の人たちにとってはやはり連絡船が本州に渡る中心手段で、その重要性は青森県民の比ではなかったであろう。とは言え、青函航路は天候に左右され、ひどい時には3日間運行できないこともあった。
1954年に青函連絡船『洞爺丸』が台風の影響を受けて沈没し、1155人が犠牲になった。この事故を契機に一気にトンネルの実現に向けて動き出す。青森県の今別町(いまべつまち)と北海道の知内町(しりうちちょう)を結ぶトンネルは総延長約54kmに及ぶ、未だ世界一の長さを誇る海底トンネルだ。
難工事に次ぐ難工事で、1961年の着工から1988年の開通まで27年の歳月を要した。その間に何度もトンネル内で出水事故が起き、34人の方々が亡くなっている。
開通してからは北海道が近くなった。以前は函館まで4時間掛かっていたのが1時間半になり、遊びに行く機会も増えた。逆もまた然りで、北海道から青森への来訪も増えた。青函新時代の幕開けだった。
現在、函館までは青函トンネルを使ってJRで訪れるが、札幌だと飛行機を使う。新千歳空港まで1時間である。北海道新幹線は現在も札幌駅に向けて延伸工事が続いており、札幌まで開業すれば、おそらくはまたJR利用が増えるのではないだろうか。
ちなみに、青森駅に隣接する岸壁に、今でも青函連絡船(八甲田丸』がその役割を終えて係留され、資料展示などを行なっている。
往時を偲ぶとともに、未来の姿を見届けたいと思う。