東日本大震災から14年が経つ。


 福島県双葉郡の大熊町をご存知だろうか。隣接する双葉町と共に、東京電力福島第一原子力発電所の立地自治体である。爆発事故とメルトダウンの後、周辺地域の被曝し汚染された土壌などを一時的に保管する中間貯蔵施設がある。あまりにも急なことで、自治体と住民が満足に話し合いをする時間の余裕もないまま、最終処分ちに運び出すまでの間、街の一角に捨て置かれるという過酷な状況下にある。

 その大熊町の避難解除により、被災から8年後に戻ってきた70代の夫婦がいる。農家だったため、再び米作りをしたいと思っていたが、年齢も重なり今では家庭菜園程度であるという。

 ご主人は言った。「私たちはいい方だ。8年経って戻れたのだから」と。お分かりだろうか。8年も帰れなかったのに、もっと大変な人たちがいるというのだ。ご主人にそう言わしめる震災被害、原発事故被害の凄まじさと再生に必要な年月に言葉を失う。


 合わせて、周りの人たちを慮(おもんぱか)ることのできるご主人の優しさに胸が詰まる。


 『まだまだ大変な人たち』はこれからどうなるのだろう。