江戸の町に威勢のいい声が飛び交う。男性は活き活きと町を巡り商いをし、女性は時に商売を手伝いながら子育てをする。武士は尊厳を保ちながら颯爽と歩き、町に溶け込みながら町民と触れ合う。実に溌剌とした江戸の町の風景だ。


 今、NHKの大河ドラマで放送されている『べらぼう』では、一町民である『蔦重』こと蔦屋重三郎が想いを遂げる姿が描かれている。

 実は今回の大河ドラマは、現場が吉原ということもあり、まだ観ていない。悲しい女性たちが男たちの享楽の対象になる世界だということがまず一つ。その中にあっても奮闘する蔦重がいても尚、悲しさを拭えない。


 それぞれの時代で特徴的な文化や風習が生まれることは良くある。しかしながら、女性が売り物になるのはどうしても解せない。農民であれ町民であれ、はたまた武家であれ。見るに耐えない。聞くに忍びない。そもそも、困窮した機会を見計らうかのように幼い子たちを買い叩くと思う背筋が凍る。


 日本のみならず、女性を売り物にする文化は当たり前のように存在した。その世界の真っ只中にいる幼い女性たちは、自分の状況を『必然』と受け止める。もがいてももがいても仕方のない『必然』なのだと。

 その辛さの中でも、普通に勤めさえすれば命を奪われないし、食べることで命は繋がる。それが生きることだと受け止める。


 誰であれ、何人(なんぴと)でも、お互いに許し合えた相手とでなければ『生きる』ことに寄り添えない。そして命を繋ぐのだ。


 哲学でも何でもない。

 生きて愛することは『動物』の必然である。