今日は皆さんも感じているだろう些細な事を書いていこうと思う。
昔から、敬語は苦手という言葉をよく聞く。尊敬語に謙譲語に丁寧語。僕もできればきちんと使いたいと思いながら奮闘している。
今、若い人のみならず中年層を含む多くの人たちが陥っているのが、文字数を多くすれば丁寧な表現だという感覚である。物ごとを提示するときや飲食店で食事を運んできた時に使われる表現がある。
『こちらが○○○となります』は誤り。
『こちらが○○○です』が正しい。
食事はお客様の目の前でその形に『なる』のではなく、厨房で完成されて運ばれてきたもので、『成る』を使うこと自体が間違いである。
似た様な言い回しは多く、
・ものだったりすると→ものだと
・なっております→です
・という形になっております→です
・にはなるんですが→ですが などなど。
言語学者はもれなく、言葉と表現は変遷するものだと言う。そしてその時は間違った表現であっても、多くの人が使う様になると定着して、当たり前の表現になると。僕も、時代の流れは止められないと思うので、その見解には意を唱えない。
しかし、そういう表現に触れた時、どうしても脳が身震いしてしまう。
年なのかなあ。