12月の初旬から積もり始めた雪が一旦小康状態となり、積み上がっていた雪を削ってプラスの気温で温まった道路に出し、お日様に照らしてもらいながら少しずつ解かしている。

 雪のピークはまだ続くだろうし、まだ積もりもする。しかし、10日間も暖かい日が続くと、カレンダーとは関係なく春を連想してしまう。


 僕が小さい頃、出稼ぎという言葉が当たり前の様に生活の中に出てきていた。農家の収入が潤沢でなかった時代、雪がふり始めると農作業は出来なくなり、冬の間、大黒柱の男手は都会に出る。建設現場などで季節従業員として働く。家族と一年のうちの1/3の長きに渡り会えず、ひとりで働くのだ。

 そして、春が訪れると家に帰り、また忙しい農作業に従事する。ご存知の通り、農家には休みがない。作物に病気なく元気に育ってもらおうとすれば、なお忙しさが募る。


 農作業は何とか残った家族でできるからと男手は都会で一年を通して働くこともあった。また、出稼ぎに出たまま帰ってこなくなったとか、違う家庭を作って出て行ったとか、いたたまれない話も聞いた。中には農地園地を売って、家族で都会に移り住むということもあったと聞く。


 小学生の頃、先生が『皆さんの中でお父さんかお母さんが出稼ぎに出ている人は居ますか』と訊ねていた。僕の心の中で出稼ぎという言葉が貧しさと結びついていたので、誰が手を挙げているのか、首を回して確かめる事は出来なかった。


 吉幾三の『津軽平野』の冒頭、


春にゃかならず おどうは帰る

  土産いっぱい ぶら下ーげでよー


と歌われる。だから出発支度をしていても、淋しいのにも慣れたと。


 今はもう聞かなくなった出稼ぎという言葉だが、時代を超えて書いていると無性に悲しくなる。


 もしかしたら、『おどう』を待つ子供に、そして、出稼ぎに出る『おどう』に自分を置き換えているのかもしれない。