一日遅れだが、昨日お月様にお供えをした。いつもお世話になっている気象予報士によると、今年は中秋の名月は17日だが、満月は18日なのだそう。

 十六夜(いざよい)の月もまた風情と何度か外に出たが、どうやら雨雲の向こう側で輝いているらしい。


 子どもの頃は、とにかくお供えが楽しみだった。お団子、栗、りんごに梨。葡萄が盛られることもあった。沢山の秋の味覚を一度に食べてもいい日だった。一方お月様はゆっくりと愛でるというより、翌日学校で友達に話すために、本当にまん丸なのかを確かめるのである。

 お皿の上の味覚達と、横に活けられたすすきと花。僕は晩御飯を食べ終えると、お供え物を食べてもいいかと尋ねる。母は必ず、父がご飯を食べ終わってからと言う。あと一時間はお預けをさせられる。しかし、いざ食べようとなると子供達が主役である。父を待っていたのに、当の父は少ししか食べなかった。昭和の姿である。


 結婚してからは、歳時記の中心行事はほぼ僕が準備した。昔を思い出しながら、少しだけ足し算引き算しながら整える。昔ながらの小さな非日常が大好きだった。

 新居の裏手が東にあたり、幸いにもワンブロック分建物が何もない空き地だった。月は50m程離れた家々の屋根から静かに顔を出す。その後、勢いを増してぐんぐんと秋の夜空を駆け上がる。すすきとお供え物を前にして、まあるい月を楽しんだ。

 ところが、娘が2、3歳の頃、裏にアパートが建った。翌年の十五夜はお供えをしたが、その次の年からはお供えをしなかった。月が全く見えないのに十五夜でもないだろうと思ってしまった。

 ここ数年は簡素ながらお供えをし、晴れていれば外に出て月を眺めている。


 SNSでフォローさせてもらっている方が月の写真を載せていたので、『兎を探す僕』と川柳を送った。そうしたら、『うさぎさんは恥ずかしがり屋さん。あまりにも沢山の人たちが見るのでバックヤードに隠れている』のだそう。


 これはこれは。

 何とも可愛らしい発想である。