僕にはどうにもおかしな癖がある。本当に気になる番組の視聴を、極端に後回しにすることだ。観てしまうと楽しみが減る様な、削除しなければいけなくなる様な複雑な気持ちを抱えながら、観るのをついためらってしまう。
一昨日、NHKの『街道をゆく〜北のまほろば』を観た。昨年放送されたもので、亡き司馬遼太郎氏が取材旅行で青森県内を巡った足跡を、佐々木蔵之介君が氏の綴った文章にいざなわれて辿る。『街道をゆく』シリーズはタイトルの3分の1は読んでいるであろう、氏の大好きな著作で、青森が舞台で、かつ佐々木蔵之介君となれば、後回しにしてしまうのも分かって頂けるだろう。
北の地では、寒さが稲を始めとするあらゆる植物の成熟を阻む。大飢饉が数年をおかず人々の命に襲いかかる。そもそも、中央政権が米による納税を強いることは、北の人々に死を宣告するに等しい。
今でこそ品種改良で毎年良作が続くが、遠方の方々は未だ寒々とした印象が残っているのではないだろうか。
ところが、氏は思う。三内丸山遺跡に見る定住生活。稲作に頼らず一つの地に留まり、狩猟と漁労、栽培生活により大きな邑を構成し、文化を育むことのできる豊かな地。青森の大地こそまさに『まほろば』だと。
遺跡からは遠方他地域からの交易品も多数出土し、加工技術も発達した。生きること、食べることに窮していたのでは生まれない文化の昇華活動がここにある。
時代を下る。
日本海に面した十三湊(とさみなと)は、天然の良港を得て他に類を見ない栄華を誇った。大和朝廷に比しても尚である。安東氏の支配、治世により、北はアイヌの人々やオロッコ人、極東の国々と、南は朝鮮半島、中国、東南アジアと交易を行なっていた。通りには外国の交易所が設けられ、行き交う船には様々な国や地域の旗がたなびく、まさに国際色豊かな都市だったのである。
しかし、岩木山の噴火による流出物や日本海の津波による土砂の流入により、残念ながら港は壊滅的な痛手を負い、瞬く間に衰退してゆく。以降、江戸時代に確立した北方航路と北前船による廻船貿易の拠点は、少し南の深浦に移る。
歴史は勝者側の視点で表現されるのが常である。残念ながら、凄まじい繁栄を続けた北の地の実態は大和の書物には決して登場せず、蝦夷(えぞ・えみし)として認識される。大和朝廷以前から一大勢力を成した北の地の歴史は、地元の人々にさえ忘れ去られるのである。
十三湊は地政学的な激変で港の機能を失ったが、現在の十三湖は海水が少しだけ流入するほぼ閉じられた汽水湖となり、国内最大といわれる美味しいヤマトシジミが採れる。しじみ汁やしじみラーメンは絶品である。
三内丸山遺跡や十三湊。全国の皆さんに是非とも訪れて頂きたいと思う。