既に社会人の娘は、高校時代、毎日お弁当を持って学校に通った。それ以前、小、中学生の時は給食のお世話になった。

 時代の流れに驚いたのだが、給食のメニューが一ヶ月分決まっていて、しかもA、B二種類からおかずを選べるという。


 僕らの時代、毎日コッペパンと脱脂粉乳で、おかずはもちろんみんな一緒の1種類。脱脂粉乳は大きなミルクポットでアルミの容器に注がれた。それでも、普段は食べられないおかずが出たりして、楽しみだったのは間違いないけれど。

 脱脂粉乳はやがて普通の牛乳に変わる。正三角錐の紙パックで、おいしさも当然だがひとりずつ配られるのが嬉しかった。

 そして、毎日だったコッペパンは、週一回食パンが出る様になり、ビニールの小袋でマーガリン、いちごジャム、オレンジマーマレードなども日替わりで付く様になった。1、2年の間に毎日食パンになっていた。コッペパンは味気なかったので、みんな食パンを喜んでいた。

 ワクワクするのは、柔らかいうどんが出る時である。温かい汁が注がれた容器に、袋から出した麺を入れてほぐす。たまの麺類はとても嬉しかった。

 高学年になると、ご飯が出される様になった。2週間に一度、金曜日。最初のメニューはカレーライスだったと思う。今でもよく使われている、片開きの四角い透明のビニールパックにほんのり温かいご飯が詰まっていて、そこにカレーをかける。嬉しかった。何といってもご飯なのだから。


 残念だったこともある。食べ残しにうるさかったことだ。栄養を偏らせないためと、もったいないのと、みんな同じでなければいけなかったのだろう。

 給食の時間が終わっても、いつも泣きながら食べ残しに苦しんでいる女の子がいた。顔も名前も思い出せないが、いつもである。可哀想だった。僕は、もうやめろと先生に言いたかったが、できるはずもなかった。


 今、給食の無償化がたびたび話題に上る。青森県では今期から実施されている。

 給食を食べる時は、みんな平等でなければならない。平等とは、必ず同じものを全員が食べ切るという事ではない。全ての子供が、平等に給食を楽しめること、楽しかったと心に残る思い出の時間にできることだと思う。