青森県立病院と青森市民病院の統合と新築移転の計画が進んでいる。直近では、移転先候補地のひとつである青森県営スケート場一帯の周辺住民から意見を聞き、概ね賛成とのこと。
どちらに決まるにせよ、大規模な事業なので、円滑に進んで欲しいと思う。
僕の母校、青森県立青森高校は、青森市桜川にある。この地にはかつて、新田次郎氏の『八甲田山死の彷徨』の主体、陸軍歩兵第五連隊が置かれていた。高倉健さん主演で『八甲田山』というタイトルで映像化され、覚えている方も多いのではないだろうか。
『バンカラ』という言葉がある。僕の時代には不良という言葉があった。頭をリーゼントにしたり、学ランを短くしたり、長くしたり。僕は少しだけ長くする中ランだった。
一年生の時、ボッロボロの学帽に夏でも詰め襟という三年生がいた。いわゆるバンカラ風にしていた。
しかし、もう『バンカラ』は死語だった。
時代は遡り。
母方の叔父は旧制青森中学出身で、僕の先輩にあたる。浅虫駅から旧浪内駅まで汽車に乗り、下駄を履きカランカランと通学した。当時の浪内界隈は学ランで賑わっていた。青森北高校(旧市立第一中学校)と現青森商業高校が入り乱れる。他校の生徒になめられて堪るものかと、鼻息を荒くしていたという。バンカラである。
しかし彼らは、親に反発することはなく、社会に背を向ける訳でもない。バイクに乗ったりタバコを家の外でふかしたり、弱そうな者たちを見つけて脅したりもしない。
叔父曰く、
①年上には敬意を払う
②年配者をいたわる
③弱いものいじめは御法度 などなど。
満員の汽車の中で、乗降扉の段の端を下駄先で突っ張り、手すりを握って我慢した事もあると言う。若輩者はそれでいいのだとも。
時は流れて様々な施設の場所も移り変わっても、変わらないものがある。受け継がれる心である。僕は叔父から受け取った。男の強さは、腕っぷしではない。怒鳴り散らすことでもない。弱い立場の人を慮り、周りの形勢が良くなくても、守り続ける事であると思う。やり遂げるのは難しい事だが、これからもそうありたいと思っている。
あっ!いけない!『男は。。』と言うのは時代遅れだった!
『人は。。』と読み替えをお願い致します。