本物だけが生き残れる時代 ① | TAGUKOTO ART NY & Hawaii

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ヘアメイク歴 23年。
NY在住だったヘアメイクTagukotoが、42歳でハワイ出身の弁護士と2019年に結婚しハワイへ移住!

アラフォーの婚活苦労話なども織り交ぜ、おもしろおかしく、時には真面目にかいたブログです。


ご存じですか?

私の大好きな日本のドラマの1つです。
そして私の人生で最も影響されたものの一つ。

ドラマの中で篠原涼子さんは1度銀行でリストラされてしまいます。

それは人間として、そして社会人としても無力であったゆえにだったと思い、資格やスキルを身につけ直して、派遣社員としてまた色々な企業にてその実力を発揮するようになります。

私はその放送をしていた12年前、
病気で家にいました。

その時、ホケ~ェっとこのドラマを見ててビビビーってきたんです。

私は英語が喋れなくて、英語が 喋れるアシスタントを採用していた自分への不甲斐なさと、カットなどの技術にいまいち自信がないことをいつも悩んでいたのです。

では、どうやってそれらを克服したらよいか?毎日こればかり悩んでいました。

幸いにも、

欲しい高級車もなく、その時はマンションも買っていなかったので貯金はあったし、考える時間もたっぷりあったので

私はその体調が不完全な中で決断し、
1からやり直すためにアメリカに行くことにした。

カットやカラーそして ヘアメイクを、黒人から白人からインド人から、ありとあらゆる外国人のから学びました。

街に出て無料でブローします!と、
チラシも作り配りました。

いまこの10年を振り返って、トニーガイ、サスーン、ウエラを学びコレクションで有名なヘアドレッサーの作品も見ることが出来き、実際たくさんやって見て自身もつきました。

最後はロコボーイに出会ってハワイに拠点は移しましたが、アメリカに来たことが私にとって最高の財産となったのは確かです。

英語も沢山勉強し、仕事にも活用しています。

最強無敵になったら今度はセルフプロデュースがどこまで出来るのか?がアメリカでは最大の課題となります。

私はまず、ニューヨークにいる新人デザイナーに自分の作品を売り込みに行きました。

通常であれば、ヘアメイクのエージェントに売り込みに行くのですが、それだとアシスタントからまた初めて行くのが見えたのでこの年齢だと遠回りをまたしてしまうとおもい、

逆転の発想で、エージェントに依頼する前のデザイナーに声をかけて行きました。

それはどうやったか?

もう、答えは簡単です。

片っ端からググッてまだコレクションをしたことがないデザイナーに声をかけて行くのです。

もちろんボランティアです。

これがいつか何かに繋がるのは私には分かりませんでしたがともかくワクワクしていました。

これからどんなことか出来るのだろう?!

そうしていたら...

FITから声がかかりFITでやる大きな
コレクションのヘアメイクを任され、

ジャパンソサエティでアメリカ人にTokyo kawaii を教えるヘアメイク講師として呼ばれ、

ミーシャジャネットさん達とニューヨークでショーをさせてもらいました。

また、ニューヨークの新人デザイナーのなかでもどんどん人気になって行くと、フロントロウに座るセレブのヘアメイクを任されたり、

気に入って貰えたセレブからはドラマのヘアメイクとしても呼ばれました。

こうなって行くことは全く予想してませんでしたが、私のニューヨーク生活はワクワクが止まらなくなり楽しいものへとなりました。

あのドラマの中の篠原涼子さんがいってた
スキルと技術があれば生きたいようにいきられる!
という言葉と、


アメリカやるなら、いつでもセルフプロデュースを出来るようにしておきなさいと言ってくれた、ニコール・キッドマン専属のカメラマンには感謝しています。

あなたは、

私は〇〇と〇〇ができます!
っていえますか?

おのお店そして個人のウリはなんですか?

誰にも負けない何かを持っていますか?

これは誰かと競うためでなく、
誰かに信用されるためのアイテムなのです。

その信用されるためのアイテムを

時代が淘汰していく中にいるからこそ
重要視されることでしょう。

本物だけが生き残れる時代がきます。

前にも言ったように楽をしてきた人、
または口先だけだった人はスババーっと
切られることでしょう。

今までそれをちゃんとやってきた人だけが
淡々と生きられるようになります。


では...それをしてこなかった人で
職を失ったらお金がなくなったらどうしたら
良いか?

一つだけ助かる方法があります。

そちらもこっそり教えますね。

続く。

休憩するのか?甘いものが食べたくなったんだろー。