一九九八年 秋



初めて面白いと評価され出演することになったイベント。


それは毎月一回

大阪梅田にあるホテルの宴会場を借りて行われていた。

ネタ見せには毎回百組くらい来ていて合格するのは十組だけ。

一組三分のネタを披露し

お客さんの投票で順位が決まる。という内容だった。


僕らは初めて出たその月、三位になった。


イベントには同期も何組か出演していたが

僕らはそのどのコンビよりも上の順位だった。

彼らは養成所時代Aクラスにいたコンビだった。

数日後、

その中の一人に


「お前らやるやんけ」


と嫌味のように言われた。

僕は


「そんな事ないよ」


と返した。が、


翌月、僕らは一位になった。


一位になると翌月からチャンピオンクラスに昇格する。

チヤンピオンクラスは三組いて

持ち時間は五分になり

同じようにお客さんに投票してもらい順位を決める。

一位はチャンピオンになり五ヶ月連続チャンピオンになるとグランドチャンピオンになれる。

僕らは勝ち続けた。

圧倒的な強さで

水を得た魚のように

時には二位と倍以上の得点差で勝った。



同期で僕らに嫌味を言う奴はいなくなった。



お客さんのアンケートに面白かった。とよく書かれるようになった。

自分ら売れる!と書いてくれる人も出てきた。

うれしかった。

自分らが面白いと思う事をお客さんが共感してくれる。


『僕らが面白いと思う事は面白いんだ』


僕らはお客さん達に自信をもらった。

その自信を胸に

心斎橋の劇場のオーディションに向かった。


なのに

どうして?

受からない。

ここでは笑いが取れない。

あんなにも笑いが取れていたはずのネタが全く受けない。

あんなにも笑ってくれていた人の姿がここにはない。



確かにここのお客さんは女子中高生が中心で

笑いに肥えているというか

偏見があった。

新しいものを受け入れにくい空気があった。

大阪に根付いているお笑いスタイル。



『ボケとツッコミ。』



実は

僕らのネタにはボケとツッコミがなかった。

それが試行錯誤した結果生まれた僕らのスタイルだった。

会社の人にもよく言われた。

ボケとツッコミをはっきりさせた方がいい。と

僕にはボケとツッコミという考え方にどうも違和感があった。

今でこそテレビでお笑いがブームになって全国ネットに関西の芸人さんがよく出るようになったから「ボケ」と「ツッコミ」という言葉が一般化されたが、

元々それは関西人の考え方だ。

その言葉が一般化する前、僕たちが学校や家で笑いを取る時、それは



『ボケる』という感覚じゃなかった。『ふざける』だった。

『ツッコミ』じゃなかった『ふざける事に乗っかる』だった。



中学の時、初めて関西の芸人さんのツッコミというものを観た時、僕は怒っている様にしか見えなかった。

それをツッコミだと理解するのはもっと後になってからの事だ。



『僕は関西の人間じゃない。だから会話に無理にボケとツッコミを入れると違和感が生じるんだ』



だったら入れなければいい。

それが行き着いた考え方だった。

それをなかなか受け入れられなかった。

分かりにくい。

どこで笑ったらいいのか分からない。

どうすればツッコミを入れないでそこが笑い所だと分かってもらえるのか?

僕はボケとツッコミを入れないで笑いを取る方法をいろいろ考えた。


そして…



続く。