板橋でつくし狩りをした正岡子規 | 板橋宿 多ぐち

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明治23年4月7日、正岡子規は板橋に「つくし狩り」に訪れています。

 

当時23歳の子規は、本郷の常盤会寄宿舎で暮らしており、竹村其十、伊藤鉄山に誘われ中山道を辿って板橋に来ています。

 

子規の随筆『筆まかせ』(沐猴冠者著)のなかで板橋の場面が描かれています。

 

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ついに板橋に達す。町はずれより右に折れ、水車場にそうてうしろにめぐれば少し広き草原あり、ここぞつくしの群生する場所なりと鉄山の言にまかせて、そこここと探るに少し時候は後れたれども、無数の小筆にょきにょきと林立するは心もちよし。

 

(抹消 一もとのつくしに飛ぶや野の小川 摘草やふさいだ目にもつくつくし)

 

大かたは取り尽して後、川ばたに帽子をしきてその上に腰を据え、弁当と麪包とを喫し尽す、それより野道伝いに行くにそよ吹く風あたたかにして顔ざわりあしからず。

 

(抹消 菜には蝶、麦に.雲雀や春の風 どこへ行くも声は真上や揚雲雀 我も画にかかれて見たし春の野辺)

 

少し立ちどまりて鉛筆にてけしきをうつしなどす。

 

(抹消 春の野や小川の音もただならず)

 

小川を渡りて右に曲がり、鉄山の案内につれて行くにほとんど路に迷わんとす。百姓家に入りて水をむすび、路を尋ねてようように板橋公園に出ず、ここにてまたつくしんぼを狩りはじめ、肩かけかばんと二つの風呂敷とに満てたり。二時半頃に至り、今まで晴れきりし空かき曇りて、雨ほつほつとふり来り。初雷の声さえおどろおどろしく聞えぬ、こは折あしかりと思いて路ばたの茶店に憩ううちに、雨はいやましにふりつのる模様なり。いざ王子に急がんとてひたはしりに走りて王子権現に至る。

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本郷方面から板橋駅付近・平尾追分を通り、「町はずれ」が仲宿のはずれという意味ならば、板橋の手前で石神井川沿いに右折したと思われます。

 

時代は下りますが、大正から昭和初期の地図を見ると「源兵水車(?判読できません)」という水車がありますので、その辺りを通りすぎて草原に行き、つくしを摘んだのでしょうか?

 

御成橋などの橋を渡って右折し、石神井川の左岸を下流に向かって板橋公園(場所は不明)にたどり着いたようです。

 

明治21年には王子新道が完成していますので、王子権現に向かうために通ったのかと、いろいろと想像を巡らせることが出来ます。

 

板橋につくし狩りに訪れる直前の
明治23年3月末に撮影された子規の写真

 

子規の随筆『筆まかせ』筆頭狩(国立国会図書館)

 

子規の随筆『筆まかせ』筆頭狩(国立国会図書館)

 

子規の随筆『筆まかせ』筆頭狩(国立国会図書館)

 

明治42年の板橋の地図(国土地理院)

 

大正初期~昭和初期までの板橋宿の地図