雨が降り出した
しばらくは天気が悪いようだ、いつもの冬に戻った
積雪がないからまだいいか
山の雪も少ないな
もう30年も経つんだ
酷い事件だけれども加害者を町が一致団結して擁護したような感じだったと記憶している
この地域の閉塞感によって加害者側が擁護されるとう風潮は数年前の旭川いじめでも同様なので変わっていないんだろうな
先進国なんだよね?平等?
そして未成年だった加害者は更生したか?というとおそらくそんなことには至っていないという感じ
生ぬるい対処では自分が犯したこと向き合うなんてことはしない、できるようにすることを更生というのだと思うが決まったプログラムをこなすだけだからそんなこと出来るわけがないのだろう
”山形県新庄市の市立旧明倫中学校で1993年、1年の児玉有平君(当時13歳)が体育用マットの中で死亡した事件を巡り、遺族が傷害や監禁致死容疑などで逮捕・補導された当時の生徒7人のうち3人を相手取り、約5760万円の損害賠償を求めて、山形地裁に提訴したことがわかった。提訴は11月17日付で、時効(10年)により、損害賠償請求権の消滅を防ぐことが目的で、3度目の提訴となる。
事件を巡っては、遺族が95年、元生徒7人に損害賠償を求めて提訴し、最高裁で2005年に勝訴が確定。約5760万円の賠償命令が出たが、全員が支払いに応じなかった。
訴状などによると、遺族側は、勤務先などが判明している元生徒に対し、差し押さえ手続きを実施。勤務先などが不明で差し押さえができなかった元生徒についても、時効による請求権の消滅を防ごうと、16年に再提訴した。同年の山形地裁の判決では、元生徒2人に対し、請求通りの支払いを命じていたが、催告にもかかわらず支払いはなかった。”
Wikipediaを見てみると加害者擁護がね…
被害者側に問題があるからそういう結果になった、という理屈
そういう人たちに守られていると反省する気も起こらないだろう
町(環境)が人を育てる
普通に考えたら恥ずかしい行為でもその集団では正しくなってしまう、誤認が起こる
政治家先生のトラブルでも同じようなものか
不祥事を起こしても地元では擁護される、何があっても擁護されて当選してしまうからやってもいいと思う
だからいつまでたっても変われない
新庄という街は変わったのだろうか?旭川はどうなんだろう?
「殺された被害者に問題がある」という理屈が通ってしまうと加害者はいなくなるよね
「いじめ」では殺されてもなにもできない、賠償金すら支払われない
この問題を放置し続けている国家
実は少子化の問題というのはこういうことも一つの要因である可能性は否定できなんじゃないかと思う
少子化がすすんだのは義務教育が当たり前となりさらに受験戦争が盛り上がった時代であり団塊Jr世代以降顕著だ
子ども時代に危険な兆候を感じた人たちが自分の子供と考えた場合は
「いじめ」では殺されても、自死しても仕方がない。というルールの世界に自分の子供を送り込む
学校は勉強する場ではなくサバイバルの場になっている、ある意味で勉強は外の塾でする人の割合も多いのだろう
現在はSNSの隆盛で「いじめ」の形も変化していることも間違いない
放置し続ける国
逃げる教育関係者
加害者を擁護する群れ
未成年は基本的に罰しない
被害者に何が出来るのだろう
被害者家族に何が出来るのだろう
Wikipediaのこの項は酷いな
”Aの一家への誹謗中傷も行われ、家の塀に「殺してやる」と落書きされる、「あそこの育て方なら当然」「ケンカ両成敗、いじめられるには、それなりの理由がある」と言われるなどし、兄も通学中に「おまえ、弟が殺されてよく平気で外を歩けるな」と言われる、妹も数人に取り囲まれ「兄ちゃん、殺されてうれしいか」と言われている[4]”
[4]出典も明記されているので間違いないのだろう。実際に取材した内容だな
”武田 さち子「37 暴行死 1993年1月13日 Aくん(13)」『あなたは子どもの心と命を守れますか!』WAVE出版、2004年2月22日、88-91頁。 - 原文の章題は本名。”
強い家系が生き残る、という理屈ならば
弱い家系が淘汰されているだけ、という見方もあるのだろうか

