優しい陽射しが射し込んでいる、暖房OFF
週末に向けて再び天気が荒れるようだ、また体調が崩れるな多分
早池峰まで行ったが雪が少ないな
溶けてないところでもこんなもんだった
さて、株式指標が活況である
勢いに乗じて「蜜の味」を覚えてしまう人もいるだろう。甘美を一度味わうと離れるのは辛いものだ、出入り自由でサクッと儲けられるという誘惑はそうそう断ち切れない。特に一度その経験をしてしまうとね
それにしても不思議である。まったく取り組み思考が異なるのにやっていることは類似しているように感じる
①企業価値に比して株価(時価総額)が安い時に買う(買い始める)。企業価値を見極める力量が必須
②年単位の大波の値動きに着目して、安い時に買う
明確な共通点としては「安い時に買う」である
①はその企業が未来に対して明るいことを確信している。無論、時代の流れで何かのきっかけで急変するというリスクはある
②は企業価値はそこそこで、最低限市場から退場しない企業を選択しているような感じだと思う
少なくとも近々、あるいは近い未来に破綻に追い込まれるような企業以外を安い時に買う
株式投資の基本であると言える
そして手仕舞いも異なる
①企業価値の上限を売るというイメージ。あらかじめ想定している
②高くなったら売る。基準はあくまでも値動きと日柄だと思う
まったく異なる思考であるが安いところを買い下がる、という行為は同じなのだ
単純に考えると、どちらの考えであっても「安い領域」は分かるのである
「安い領域」が分かれば「高い領域」も分かるのではないか?
どう考えても誰がどう見ても「安い領域」とは総悲観領域であり、逆にどう考えても「高い領域」とは人気飛躍領域である
「安い領域」はゼロ以上という下値があるが「人気飛躍領域」はとんでなく飛び跳ねることもある
株式市場は不思議な金額を提示するが、その金額は正当化され取り引きが成立する
グレアムだったかバフェットだったかが言うミスターマーケットは市場が開く日は必ず現れる
投資家はミスターマケットに惑わされてはならない、と言葉では簡単だ
総悲観領域と人気飛躍領域とどちらの行き過ぎ領域の間には「企業価値に比して適正領域」という領域もあるとも言えるのかな
投資というと企業価値である
企業価値は定量的な感じが強いが実は定性的な面も大きいように思う
結局は定性的・感覚的な領域の才覚が必要になり。それは個の能力である
私は単純に直観と表現するようにしている。直観とはそれまでの人生経験の積み重ねから得られた能力である
ここまでは投資家あるいは相場師の基礎がある人の話
それでは基礎がない人はどうしているんだろう?と考える
基礎がないとは直観がないということになる
相場への取り組みはわかりやすい「定量的」であったり「一定ルールのマニュアル」に頼ることになるのだろう
どちらも誰かが提示する「数値」であり「やり方」だ
それに自己流の思考が加わる
ファンダメンタル分析という名目で多様な情報からお気に入りの「データ」や「見解」を抜粋・統合して自分の意見とする
実際は無根無蔕なんて状況であるかもしれないな
それでも上手くいっている時はそれでOKなんだよね
さらに値動きのみを追求すると、企業価値なんて完全に排除するなんてことになる
時間軸を短くロットを大きくして、上下値動きのみに集中するのがdaytrade、うねりとり或いはスキャルピングという形になるのだろう
これはこれで、また別の才覚が必要になる
時間軸が短くなるほど難しくなると私は思っている