のんびり

のんびり

いろいろあるけれど、平穏無事に暮らしたい

晴れてる、今日は30℃越えるようだ

 

ドライブがてらバラ園に立ち寄ったのだ

陽射しが厳しいが、小高い丘になっており木陰で風が吹くと心地よい

今年は雨が少ないので花が長持ちするという話

 
 
 
 
 
 
 
 
小池現東京都知事の学歴詐称疑惑、何か話が進まないがおかしいものはおかしいのである
 

例えばこれ、なんか提示した証書に問題があるけれど「いいよね?」と言っているのである

”小池氏は「何度も証明を出させてていただいている。どこにハンコが足りない、サインが足りないと言われているが、カイロ大学そのものが認めている」と返答

 

「これまで何度も…こんなに大学の卒業証書をさらしている政治家はいるのかとお尋ねしたいくらい。既に証明するものは証明し、カイロ大学そのものが声明まで出している。いろんないきさつがあったでしょうけど、選挙間近になって、4年前もそうでした。選挙に対しての妨害と言わざるを得ない」”

 

この発言から『証書・証明書』に問題(欠落)があることを認めていることが分かる

例えば、ある企業が従業員を雇用する際に「学歴証明書」の提出を求めたとする

その証明書に「必要な項目、あるいは承認印やサインが欠落している」としていても問題ないよね?と受領するだろうかはてなマーク

普通はしっかりと証明書に値する『証明書』の提出を求めると思う

 

さらに従業員が記載している卒業年月日と卒業証書の年月日が異なるとしたら…

現在も全国知事会の経歴には昭和51(1976年)年10月卒業とある

しかし、卒業証書で卒業を認定された年月日は『1976年12月29日に卒業(学位)認定』とあることが判明している

 

多分、この2項目だけでも普通の企業は学歴の確認と整合性を求める

それじゃないとおかしいでしょ?

カイロ大学が…カイロ大学が…って、これを授与したカイロ大学の程度を貶めていることにもなりかねない

あと『卒業証明書』は何回でも発行可能のだから、1977年1月12日発行という古いのではなくてどうせなら最新の『卒業証明書』を発行してもらったらどうだろう?

1976年当時はどうあれ、現在では欠落などない何の疑いも生じない『卒業証明書』の発行が可能な気がする

今でもカイロ大学の適当具合が変わっていないのであれば、カイロ大学ってダメじゃんって話にもなる

 

 

そして、また新たな『追試』で卒業したという新証言もあった

 

”自らもカイロ大の卒業生で、小池氏を学内で見かけたことがあると説明。文学部副学部長を務めたことがあり、学内の事情に詳しいとし、小池氏は「追試」で大学を卒業したと主張した。 ”(イサム・ハムザ東京国際大教授)

 

色々と各自の利害が絡んでいるようで

とりあえず『追試』なら『追試』でいいからまずは、「卒業論文」と「卒業試験」と「追試」と「卒業認定日」の整合性をとることが必須

まさかイサム・ハムザ東京国際大教授までもが『卒業論文』が必要ない特別な人もいると明言されるのなら話は別だが、またそれもカイロ大学の品格を貶めることになると思う

 

 

結構無理筋が主張をさも被害者のように語るのは辞めてほしい

証明書として欠落しているところを欠落している、整合性が取れないところをおかしいと普通に確認しているだけなのに『カイロ大学が認めている』しか実質答えていない

 

そういえば先日突然、小池都知事の寸劇動画が拡散されていたのを目にした

寸劇であって何かを証明するものではない

ああいうのを簡単に信じてしまう人たちが多いことを見越しての寸劇である

 

客観的に矛盾している箇所を突き詰めることが重要であり、それが検察のお仕事である

 

 

そしてかつての同居人が再び言及

 

新たな言及として

同居時期

1972年の春(5月)〜1973年2月、日本人留学生と結婚のため。カイロ大学2年編入前

”手許に残っている、当時、私が日本の母に書き送った1972年11月29日の手紙には、「百合子さんは来年1973年10月からカイロ大学の2年生に編入できることになったので、アパートでお赤飯を食べてお祝いした」とあります。”

 

この「1973年10月からカイロ大学2年に編入」が記載されている手紙が現存しているのは大きいと思う

 

②1975年の年末〜日本帰国まで、離婚のため再び同居

 

 

同居時期が明確になった

これで北原氏の落第が記憶違いという線は消えた

小池都知事が自著で記している「初年度2→3年時に落第」している時期に同居はしていなかった

それは少なくとも同居している状態で小池氏が落第したという記憶は1975年年末以降、すなわち卒業したとされる1976年の進級試験以外あり得ないということになる

 

そして’76年5月の進級試験落第に担当教授に相談するがダメ

”「先生から、『あなたは最終学年ではないから、追試を受けることができない』って言われた」”

 

これで北原氏が『進級試験』と繰り返し述べていたことが理解できる

卒論の話が出ず『卒業試験』ではない、それは進級試験だから。2→3年、あるいは3→4年への進級試験でしかない

 
 
これって北原氏と朝堂院氏が別々に経緯を語っているからズレが生じているが、2人の証言から状況を整理すると見えてくるものがあるじゃないか?
ということで以前のように時系列を確認するとカイロ大学編入が1973年10月というと確実にカイロ大学を卒業することは不可能だという結論になる。優秀すぎて飛び級でもできたのなら話は別だ
 

 

小池氏のこれまでの説明だとカイロ大学に1972年10月に2年生として編入していることでなんと学年の辻褄があっていたんだ

ところがそれが1年後ろにずれると4年生に進級することも不可能になる、年数が足りていないのだから

 

北原氏が何かがおかしいと必死に思い出しのかな

まさか自分が母親に当てた手紙に自分が答えを記しているとは思いもよらなかっただろうな

 

1976年は北原氏もハイジャックに巻き込まれるという大事件があったこともあるから、他の年の普通の日常以上に記憶していることもあるだろうと思う

 

卒業(学位授与)がかかった追試験が実施さえている時期にカイロ近郊小旅行に同行ですか

1976年12月29日に卒業認定されて、帰国。卒業証明書は航空便で送付してもらったのでしょうか

 

真面目にこれはキツくないか…

そもそも卒業年月日が異なる証書を堂々と披露して、ニッコニコって…

それをOKです!と認める日本人

 

検察は動くのだろうか?

それとも裏で誰かが動いて終わりになってしまうのかな

 

そして本当の問題は、小池都知事がアラビア語のスペシャリスト(少なくとも学位授与レベル)であることを大前提とした場合

小池都知事は自分が申告している卒業年月日と卒業証書に記載されている卒業年月日に齟齬があることを認識していながら堂々と公に披露したことになる

これがアラビア語がわからない、読めないのであればそういったこともあるだろう

しかし、どうではないのだから確信犯的に申告と異なる卒業年月日記載の証書を披露して誰にも気付かれないと思ったのだろうか?それだとあまりにも浅はか、というか有権者を舐め切っていると思われても仕方がないことをやってのけているように感じるのは私だけなのだろうか…