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のんびり

いろいろあるけれど、平穏無事に暮らしたい

日に日に冷房稼働の目安である30℃に到達する時間が早くなっている

東北地方はまだ梅雨明け宣言前だというのに

 

雨が通り過ぎるとオニユリも涼しげに見える

 

 

都合が悪いこと、関与したくないことには隠蔽が謀られる

特に学校における「いじめ」ではそういう傾向がある

”母親は学校に相談したが、「あまり騒ぐとお母さんの名が町中に知れ渡りますよ」などと言われたという。腹を殴られたり、棒でたたかれたりしたこともあったといい、男児は10月から不登校になり、昨年4月に県内の別の小学校に転校した。”

 

色々とあるが取り敢えず相談された先生と加害者への調査は必要だと思う

場合によっては「事なかれ対処」をした教員への処分も必要になるだろう

 

「いじめ」という加害行為を放置・容認して過激化させるとその先には「自死」あるいは「殺人」にまで至る可能性がある

宝塚歌劇団のように「加害行為」を「伝統」と言い換えて処罰なしという都合の良い解釈をする人たちもいるが、言葉いじりだけで現実は違うよね

そういった面では自民党の「申告不要な収入の伝統」も同じような感じなのかも知れないが

 

旭川の凍死自死事件、あるいは女子高生殺害事件(まだ真相は明らかになっていない?)などのように増長させると取り返しがつかなくなることが起きる

ネットの誹謗中傷と同じように現実の対人に対しても歯止めが効かないような人が現実に居るのだ、そしてそうなる前に必ず前段があると思う(生まれながらの人もいるかも知れんが)

 

文部科学省が義務教育について謳っている

 

”1.国家・社会の構成員としてふさわしい最低限の基盤となる資質の育成(社会の統一性・水準維持),2.国民の教育を受ける権利(学習する権利)の(最小限の)社会的保障”


”義務教育の目的とは,「人間力」を備えた市民となる基礎を提供すること。つまり,社会に生きる市民として,職業生活,市民生活,文化生活などを充実して過ごせるような力を育むことと言える。これは,「生きる力」として文部科学省が教育改革の中で提唱してきたことと軌を一にするもの。”

 

などがあり、それらを引っくるめてまとめとして次のように記されている

”これらの意見を大づかみに集約すると,義務教育の目的については,次の2点を中心にとらえることができるものと考える。

1.国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成

2.国民の教育を受ける権利の最小限の社会的保障”

 
正しそうに謳われているが現実は違う、そもそも本来部活動もそういう側面から推進されてきたハズだがその部活動も縮小傾向が顕著になっているし
今はテストの点が高ければ良いことになっている、という側面だけが大きくなっている
勉強(テストで良い点を取るための勉強)が義務教育の唯一の目的であるかのように錯覚させられる状況に陥っている
 
「人間力」とは一体なんなのか?
バレなければ、罪に問われれなければ、表面上取り繕えれば裏で何をやっても良いのか?
そういう思考が膨れ上がって歯止めが効かない精神領域に至ると通常では考えられないことが起こり得る
 
それにしても立派な文章が掲げられるが現実との乖離が大きいのは言うまでもない
今や現場の教員は「個々人の人間力の育成」あるいは「問題がある生徒」に関わっている時間もないし、人員も足りない時代になっている
 
何もかもが衰退に向かっているような感じがあって嫌だな