田吾作「今回は田吾作ファームで栽培中のスイカの品種を紹介する。」



「スイカはアフリカ原産でウリ科スイカ属の植物である。」



「野生種はアフリカの砂漠地帯に分布しており、水分が多いことから人々に潤いを与えてくれる果実として5000年以上前から品種改良されてきた。」



「元々の野生種は甘味が少なくて苦味が強かったため主に種を食べていたが、品種改良に成功して果肉を食べるようになったものと思われる。」



「日本には平安時代に中国から伝わったと言われており、この時期に描かれた国宝の鳥獣人物戯画にスイカらしきものが確認できる。」





スイカの種類





田吾作「現代の日本では赤色のスイカが多く流通しているが、古代イスラエルの200年頃に書かれた文献には果肉が黄色だったことが書かれている。」



「その後の425年頃に古代イスラエルで書かれたモザイク壁画にも黄色のスイカが描かれていて、果肉が赤色のものは描かれていない。」



「そして1300年代に書かれたイタリア語版『健康全書』という文献に初めて果肉が赤色のスイカが登場している。」



「このことから元々スイカの果肉の色は黄色で、長年の品種改良によって14世紀頃に赤色の品種が誕生したことが推察される。」



「スイカの果肉の赤色と糖度を決定する遺伝子はペアになっているため、日本に伝わって普及したのも果肉が赤色の品種だったのだろう。」





薩英戦争 (1863年8月15日~1863年8月17日)





田吾作「江戸時代後期の1863年 (文久3年) に勃発した薩英戦争では、何故かスイカに焦点の当たった興味深いエピソードが残っている。」



「その前年に日本人がイギリス人を殺傷した生麦事件が発生したことで、薩摩藩 (現: 鹿児島県) とイギリスは激しい戦いに突入する。」



「このときの犯人に対して薩摩藩は奇襲攻撃の作戦を練らせたところ、薩摩藩士をスイカ売りに変装させてイギリス艦隊に乗り込む案が決まった。」



「彼らがいわゆるスイカ売り決死隊で、合計7隻に乗り込む予定だったが、イギリス側に警戒されて奇襲攻撃は失敗に終わってしまう。」



「ちなみに薩英戦争の結果は薩摩藩がイギリスに大ダメージを与えて引き分けに終わったのだから、当時の日本人が如何に勇敢だったのか分かる。」





ナント種苗: 羅皇 ザ・スウィート





田吾作「これはナント種苗の羅皇 ザ・スウィートという大玉スイカである。」



「果実の重さは約8~10kg、形は丸型、果皮は極濃緑色、果肉は赤色だ。」



「糖度は約13度、硬肉系としては糖度乗りが早く、熟期は中晩生、在圃による果肉軟化や空洞果が発生しにくいので完熟させることができる。」



「草勢はやや強めで着果性が良く、ツルボケの心配は少なく、空洞果や烈果の発生が少なくて秀品率が高い。」



「病害虫抵抗性はうどんこ病と炭そ病に抵抗性を持っている。」





ナント種苗: 金色羅皇






田吾作「これはナント種苗の金色羅皇という大玉スイカである。」



「果実の重さは約8~9kg、形は丸型、果皮は緑色、果肉は黄色だ。」



「糖度は約12~13度、肉質が緻密なのでシャリ感が非常に良く、食感と食味が優れている。」



「草勢は強いが、烈果が多いので低節位着果は厳禁、交配から約15日の蒸し込み管理を十分に行い、スムーズな初期肥大を促す。」



「病害虫抵抗性は炭そ病に抵抗性を持っている。」










田吾作「このようにスイカは古くから世界各地で品種改良が繰り返され、赤色に突然変異して甘味が強くなった果実は多くの人々に親しまれてきた。」



「高温多湿の夏を迎える日本はスイカの栽培に適した気候のため、高級品であるメロンより安価に売られていて一般的に食べられることが多い。」



「それだけ日本人にとって身近なスイカがアフリカから伝わったのは意外かもしれないが、甘味があって食味が良いため瞬く間に日本各地に広まった。」



「今年の夏もスイカは潤いと甘い時間を与え、その鮮やかな赤色と黄色の果実は多くの人々に愛されて食べられることだろう。」



「皆さんも家庭菜園でスイカを栽培しては如何だろうか?」

















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