私のブログに訪問していただき、ありがとうございます。☆☆913

 

今回は、私の昔話です・・・

 

今から39年前、

私が大学2年生の時のことです。

私は、

一部の友人たちから

「教授」と呼ばれていました。

 

なぜ、そう呼ばれていたかって?

 

私に聞けば、

バイクのことは何でも答えてくれると思われていて、

「(バイクの)教授」と呼ばれていたのでした。

バイク雑誌『オートバイ』や『モーターサイクリスト』

を愛読しており、

バイクのことをよく知っていたからです。

 

ただ、その頃の愛車は、YAMAHA RD50

 

「教授」と言われるからには・・・・というわけで、

バイクの試験にチャレンジしていました。

 

小型自動二輪(125ccまで)試験は、

3回目で合格

小型二輪の試験車

『HONDA CD125』です。

 

 

中型自動二輪(400ccまで)試験は、

4回目で合格

イメージ 1

中型二輪の試験車の

『SUZUKI GS400E』です。

 

そして、いよいよ

大型自動二輪(限定解除)の

試験にチャレンジです。

 

今では、教習所でも

大型自動二輪の免許を取ることができますが、

39年前は、試験場でしか取れませんでした。

 

試験場は、愛知県 平針運転免許試験場です。

 

合格率は1%と言われていました。

 

100人チャレンジして1人合格という厳しい試験でした。

 

まずは、倒れたバイクを起こす試験です。

イメージ 2

この『SUZUKI GT750』を起こしました。

 

バイク雑誌で学んだ通りのやり方で

バッチリ起こせました。

 

次は、このバイクを、

8の字に押し歩きする試験です。

これもバッチリできました。

 

その2つができて初めて、

コースに出て、

走行試験にチャレンジできます。

 

こちらが、平針運転免許試験場 

大型自動二輪 試験コースです。

イメージ 3

このコースには苦戦をしました。

 

大型自動二輪のコース試験車

イメージ 4

この『SUZUKI GS750G』でした。

 

乾燥重量272kg。

 

バンパーやいろいろ装備が付き、

ガソリンなどが入っているので

重量は300kg以上でした。

 

私がいつも乗っているは、RD50

 

ガソリンを入れても重量90kgのバイク。

 

この『GS750G』は、

重量3倍以上のバイクです。

 

とてつもなく重く感じました。

 

1回目は、

コースを最後まで走ることも

できませんでした。

 

その後もなかなか

完走できませんでした。

 

放送で、

そこの○○番の方、スタート位置まで戻って来てください

 

と言われて、

最後まで走らせてもらえない時もありました。

 

試験10回目

坂道発進で、ギア選択を間違えて、

2回連続でエンストしましたが、

初めて完走させてもらいました。

 

私の点数は60点

 

合格は70点以上

 

エンストが1回だけだったら、

合格できたのに・・・

 

次のチャレンジからは、

「完走できれば合格できる」という思いから

プレッシャーに負けて、

今までできていた所でも失敗して

完走もできませんでした。

 

そして、

20回目のチャレンジの時

久しぶりにうまくでき、

完走もできました。

 

そして、

みごと合格しました。

 

その時の

合格者は、私1人だけでした。

 

チャレンジし始めたのは、

桜の花が咲いている頃からで、

合格したのは、

次の年の桜の花が咲く頃でした。

 

なんと1年間も

平針運転免許試験場に通ったのでした。

 

19回不合格

 

20回目で合格

 

19ころび20起きで、

バイクの試験に合格!!

したのでした。

 

 

できない人は、

チャレンジしない人か、

チャレンジするのを

途中であきらめる人

 

できる人は

できるまでチャレンジをし続ける人

 

・・・だと身をもって、感じる体験でした。

 

 

これで、

本当に『バイクの教授』

なったのでした。

 

私を「教授」と言ってくれた友よ、

ありがとう!!

 

私を鍛えてくれたRD50よ、

ありがとう!!

 

 

 

以上で、今回の報告(レポート)を終わります。

 

お付き合いいただき、感謝します。

 

最後まで、

ご覧いただき、ありがとうございます。