ビル屋上から飛び降りた彼は、幸いにも電線に足が絡まり、間接的に落下したので運良く両足の複雑骨折で事なきを得たのだった。


この事件は、新聞にも載ったがもし死んでいたらホテル側も大事になっていただろう


自サツ未遂した彼とは部署が違えど面識もなかったので、この事件は同期から人伝に聞いた話しであったが、当時の環境からして、何も珍しくもなく自分も感覚がマヒしていたので、精神が脆い奴だな位の気持ちであった。真顔


今、考えると異常な出来事なわけだが環境と置かれた立場で人間はストレス耐性が変化、順応すると言う経験を得れた。


後から聞いた話しではあるが彼は、物静かなタイプで優しい人間性であったが、飛び降りる前の家庭でのやり取りでは、情緒不安定になり暴言吐きまくってたらしく、性格も変わってしまっていたそうだ。


その話しを聞いて、妙に納得する自分が居た。何故ならその様な異常な環境で修行をしていたからだ。


実際、その時に自分も料理は見て覚えろだの、不可能な言い草でムチャ振りされていた事を思い出した(笑) 爆笑


実際に魚をおろせない、鶏を捌けれない先輩もいたから、これはもう自ら仕事を取りに行かなければいけない状態でミスすれば容赦なく蹴りが入るので理不尽な環境であった。


教える側は、もう見た目も言動もヤクザでシェフと呼ばれる奴らもそれに近い体育会系のピラミッド。完全に先輩社員後輩社員の主従関係であった為に生意気な自分にとっては、最悪な環境であった。

なにせ、先輩に嫌われていたから2年間、洗い物、洗い場の人間であった。包丁も握らず、やるのはトマトの湯むきと茹で卵、野菜を手でちぎる事やドレッシングをボトルに詰めたり、そんな事を2年もやっていた。普通は、辞める案件だし、よく2年間も耐えたなと自分に言いたい。自分が入った時は、直の先輩が女性であった。90年代初頭は、少しずつではあるが女性の料理人も増えて来ており、自分の最初の先輩も女性だった。その時その人は26歳で大卒で入社だった。仕事は、出来る人で自分のフォローもしてもらい感謝していた。


でも、その人は結婚するからと退職して行ったが実際は、違うと思った。セクハラ、パワハラが横行していたし、女性が働く環境じゃない。と今になって思う。ホントは辞めたくなかったのでは無いかと思う。


まあ、時代が90年代では早すぎたのかも知れない。実際、三重の志摩観光ホテルは女性が総料理長になってるし、タイミングもあると思う。このホテルは環境が良かったのかも知れない。




自宅の窓から見えるナンジャモンジャの木



出会う人間、環境で人は変わるし一概には言えないが耐性も付く。結果それは、知識になり経験となる。


3年目の自分の目標が、蹴りを少なくするのと、すいません、失礼しましたの回数を減らす。だったから今思うと、相当異常なのが分かる。結局、3年目で部署異動となり、そこから本格的な修行が始まったワケだが、無駄な2年を過ごしたなって思うネガティブ