目からうろこの縄文時代

 

 

 

世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」

その17からなる構成資産の中で、

八戸市の是川縄文館と、青森市の三内丸山遺跡を訪ねました。

 

 

訪ねてみると、

文化的な生活が垣間見え、私の縄文時代のイメ-ジすっかり変わりました。

 

陶芸を趣味の1つにしている私、

特に縄文土器の素晴らしい出来映えに目を奪われます。

(私には到底作れない・・・)

 

 

(八戸市埋蔵文化財センタ-是川縄文館)

 

是川縄文館は是川石器時代遺跡の3つのエリアの中の1つ、

縄文時代晩期の中居遺跡から発掘されたものが展示されている立派な施設。

 

 

 

 

自宅や教室では袋から出すとすぐに使える粘土や、轆轤や窯などのありがたい道具を使える恵まれた環境下での陶芸です。

 

そんなものが無い時代の紐づくりの縄文土器に目が奪われます。タイムマシ-ンがあるなら作陶の様子を見てみたいものです。

口から出るのは ただただ「すごい」の一言。

 

この時代にも陶芸家的な専門の人がいたんでしょうね??

 

 

うるし塗りの赤い土器。

3000~4000年前のこの時代、漆を利用していたんですね。

 

 

 

同じく赤色を出すベンガラ。

 

ベンガラを保管する器があったということは、

管理する場所のル-ルや計画性も集落内でしっかりあったんでしょうね。

 

 

 

 

バランス良い形といい、模様といい・・・

ろくろも無い時代、どうしてこんなきれいな形に?

 

(ピンボケ)

 

私の作る香炉とは大違い。

手が込んでる。

縄文晩期、芸術が既に大きく開花してますね!

 

 

 

縄だけでなくて、スタンプも使って土器に模様を入れたんですね!?

単に道具としての器を作ったんじゃなく、芸術品を作っていたんです。

 

 

 

 

コ-ヒ-ドリッパ-付き注ぎ口の付いた急須のようなものも(笑)

 

注ぎ口の付いた器に移す時に、

液体をこぼさない為の工夫か何かでしょうか!?

 

(どの器も薄く作られてます)

 

 

縄文時代後期後半の地層から出土した土偶。

 

約3.500年前のものが、当時の姿で再び太陽の光を浴びたことは奇跡です。

掘り出された本人はさぞ眩しかったでしょうね(笑)

 

重要文化財に指定された数百点の出土品の中で、唯一無傷だった国宝「合掌土偶

 

(最近、JR西の駅ポスタ-でよく見掛けます)

 

施設ではボランティアの方でしょうか、

この施設の展示物の説明を詳しくして貰えました。

 

 

どうしても土器に目が行くことが多かったんですが、狩猟の為の漆塗りの立派な弓。

大河ドラマ、平安時代の藤原道長に持たせてもおかしくは見えない!?

 

 

 

亡き人を送った場所からは櫛も出土しています。

 

(パンフレットの写真)

 

この櫛は髪飾りのようにおしゃれな使われ方をしたのでしょうか?

それとも寝ぐせでも直した?想像膨らみますよ。

故人の物だった?それとも儀式用だったのでしょうか? 

 

立派な施設で展示物も見応えがありました。

縄文時代、私には想像も出来なかった技術を伴った文化的な時代でした(笑)

 

 

 

 

(青森県 三内丸山遺跡)

 

 

是川縄文館とは別の日、有名な三内丸山遺跡に。

 

ここは縄文時代前期~中期の遺跡で、

是川縄文館より更に古いものが展示されていたり、再現された竪穴式住居や大型建物も点在しています。そして比較的青森市内からのアクセスのいい場所でした。

 

 

 

片口、何を注いだのかな? 宴会?

 

 

 

地層や土器の小さな破片から年代やどのように使われていたのか、

コツコツと地道な作業と科学的根拠に基づいて

素材や使用目的が特定されて来るんですね。

 

縄文人の生活様式が徐々に明らかになって来ます。

 

 

 

 

年代によって器の形状や装飾に変化が。

俗な言い方をすれば、時代の移り変わりと共に変わる流行りです。

 

 

 

すごい数の土器が出土、保管されています。

 

 

 

 

鹿の角や獣の骨で作った釣り針。

近くの河川や陸奥やで魚を突くだけではなくて竿で釣っていたんですね。

実際に鯛やスズキの骨も出土しているとあります。

 

 

今では当たり前の釣り針、細やかな技術と知恵ですね。

 

 

 

器に入れた海水にかけて作っていたと。

これ、塩づくり専用の土器だとあります。

 

火にかけて割れることもあったでしょうね。

 

 

紐づくりの器、

海水が漏れないように継ぎ目が分からないほど丁寧に作られているそうです。

 

 

製塩もそうですが、この時代、幼くしてこの世を去る子供も多く、土器に収めて埋葬したそうです。使用目的に応じた土器が作られていたのも驚きです。

 

 

 

切り倒した木に石斧の跡が残る巨大な木柱も出土。

 

 

 

柱穴の深さ直径がどちらも2mでその間隔が4.2mの6つの穴跡が見つかり、そこに直径1mのクリの株が残っていたんだそうです。

 

それを復元すると・・・

 

屋根があったのか、あったとしても形状などは判明しないので、発掘された内容から推察される範囲内で復元するとこうなる。

 

 

直径1mのクリの柱からすると高さはこんなにもなるんですね。

これは集落のシンボルタワ-?それとも・・・?

 

 

 

日本独自の技術や秩序ある文化的な生活、

縄文時代には既に産声をあげて育っていたようです。

 

 

 

こんな大きな施設を作る技術もあったんですね!?

 

 

先の施設の見学と合わせて、

学校で習った私の縄文時代のイメージとは大違いの縄文文化に触れることができました。

 

4~5000年以上前の日本、決して大陸や他国の文化に負けていない!

そんな気がしてきました(笑)