余分(?)な寄り道
コロナ渦前、何年前だったか茨木県に遊びに出掛けましたが、珍しく体調が悪くなってしまいました。
一人旅じゃなかったので、梅がまだ咲いていない水戸の偕楽園や袋田の滝、笠間焼の町など無茶苦茶寒かった中、無理を押して巡ったんです。
ただ、私が一番楽しみにしていた食事は熱と悪寒に襲われて、止むを得ず同じ店に2日続けてキャンセルの電話を入れざるを得ませんでした。仕方無かったとは言えお店には悪いことをしました。
今回の秋田旅行、
直接秋田旅行に向かわず京都から品川に出て、(1月11日~のこと)
品川から茨木県水戸市へR常磐線特急で約1時間30分。
あの時食べ損なった食事に誘われ(笑)、久しぶりの水戸に舞い戻って来ました。
(水戸駅前 -助さん格さんに挟まれた黄門さん)
チェックイン時間前だけど宿に荷物を預けて、前回に立ち寄れなかった弘道館へ。
弘道館は水戸藩藩主の徳川斉昭が子弟や藩士の文武両道を目的に1841年に創設された藩校。それも天文学、医学、薬学、儒学など様々のな分野の学問にまで・・・
水戸学、全国を巡った水戸光圀公(黄門さん)の編纂が始まりだと。助さんだったか、格さんだったかが情報を集めて、どちらかが纏めたと説明を聞いたような!? 難しいことは分からないけど、教育に力を注いだことがひしひしと伝わる水戸藩です。
(弘道館と大量の歴史書)
徳川家最後の将軍、徳川慶喜も幼き頃にここで学び、大政奉還後は朝廷に従いここ弘道館に入り謹慎生活を送ったとのことです。その後、謹慎を解かれ駿府に移り、趣味の写真などを楽しんで過ごしたそうです。
(明治22年5月の写真)
(左端:徳川慶喜さん)
後、弘道館の向かいの水戸城址に。
今の城内には現代の幼稚園や小学校、中学など教育施設が点在しています。
江戸時代後半に差し掛かると更に教育熱が高まり、水戸城下に40もの学問所や手習所と、140に及ぶ武芸塾があったそう。すごい数!現代より多いんじゃ!?
そんなある私塾に在籍していた91人の子供達の似顔絵(模写)が弘道館に展示されています。出席簿的に使ったんでしょうか?成績の記録用でしょうか?まっ、アナログデータベースですね!?
(弘道館展示)
夕刻、勉強を終えた現代の小学生たちが家路に。
(水戸城、大手門内)
そろそろいい時間、私たちも小学生と共に大手門をくぐって城外へ・・・
(鹿島臨海鉄道水戸駅)
寄り道の目的地、水戸から大洗までは鹿島臨海鉄道で約15分。
あの時に食べ損なったのがどぶ汁。秋田に向かうついでとは到底言えないけれど、そのどぶ汁を楽しみに大洗へ。予約をしておくと用意してくれます。
それにしても「どぶ汁」って名付けたの誰でしょね?
(全体があん肝色に)
どぶ汁って結局アンコウ鍋なんですが、
単にアンコウ鍋じゃなく、空の土鍋の中で先に肝を炒って、野菜を入れてそこから出る水だけで作る鍋のことです。常磐物と言われる有名な大洗のアンコウ鍋で漁師めしです。
コクがあって美味しい(笑)
深海に棲むヒメカリを「疲れる」と言いながら、大将自ら団扇でひたすら扇いで(魚に火がまわらないように)焼いているのを見て食べたくなって・・・
見た目の悪さとは違って、脂ノリノリでこれ美味しい!
(メヒカリの塩焼き)
ウシカ(舌平目)やヤガラ、余り聞き慣れない魚や、刺身であまり食べる機会の少ないお刺身など、私の体調も良くしっかり楽しめた大洗の夜が更けて行きます。寄り道した甲斐あったというもの(笑)
大洗はアンコウで有名な一方、アニメで聖地化で町興しが成功しているんだそうです。主人公?の誕生日には列車が一杯で乗れずに、水戸駅から歩いてくる強者がいるのだとか。
大洗の駅舎内の飾りですが、実際の列車の外も内装も結構派手派手(笑) 前回来た時も確かに聖地をアピ-ルしていました。
アニメを知らないので、登場人物らしき彼女達と戦車と大洗の地がどう繋がっているのかは今も分からないけれど、東日本大震災後、落ち込んだ観光地が再び賑わったならそれは良いことですね。
ここ大洗のように、広島県の竹原・岐阜県の飛騨古川・京都市の出町柳商店街など、アニメの聖地と呼ばれる場所にたまたま出会ったことがあります。それぞれの町で活気が出ればいいですね。
翌朝、水戸から常磐線で仙台に向かうと、右手に波の穏やかな太平洋。
途中、聞き覚えのある「浪江駅」や「相馬駅」に停車します。
そこを以前から知っているような錯覚をしましたが、福島県の浪江町、相馬市、津波の被害が大きくてニュースの中で幾度となく聞いた名前です。
(この常磐線も大きな被害を受けたのでしょう)
震災からもうずいぶん経ちましたが・・・
車窓から眺めると、広い範囲のあちらこちらで今も工事が進められています。黄色いショベルカ-の姿がたくさん。
随分前のように思ってしまいがちですが、現地ではいまだ復興途上にあるようです。
そんなこんなの遠回り、
仙台到着後、東北新幹線でようやく秋田駅へたどり着きました。
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秋田観光を終えた最終日、家内が途中の盛岡で食べてみたいものがと・・・
予想はついていたけど、何?って尋ねるとやっぱり「わんこそば」。
盛岡には少し立ち寄って帰ろうとしていたので、私の気持ちも傾きだします。
家内は初めてですが、私は過去2回経験が。
わんこそばは味を楽しむんじゃなくて、イベントとして楽しむもの。
なので独りでさせる訳にもいかず、カロリ-過剰摂取に目をつむり私も参戦(笑)
(腹一杯)
マッチ棒などを使って自分で数えるより、写真のようにお椀を積んでもらう方が料金は高くなりますが、私逹のような観光客としてはやっぱり積んで欲しい(笑)
蕎麦を手際よく手持ちの椀に入れてくれます。
かすり姿の女性の「はい、どんどん♪」、「はい、じゃんじゃん♪」の掛け声に乗せられて ついつい頑張ってしまう(笑)
秋田では、お昼の稲庭うどんを私だけ辛抱して食べなかったのに・・・
今は100杯を越えるとこんな手形もらえます。
(以前は何杯で終えても必ず貰えた)
でも、年齢ですね。
それでいいんですが、以前より杯数減りました(笑)
帰りの列車の時間まで少しあるので、
腹ごなしに盛岡地方裁判所前の樹齢400年近いと言われる石割桜を見に行きました。
もちろん咲いているはずはないのですが、
あの固い花崗岩を割って根付いた桜にすごく感動したので、再び会いに(笑)
種が石の割れ目に落ちてから徐々にとは言え、根のパワ-、生きる力って凄い!
桜も年齢でしょう、しっかり防寒・雪対策してもらってますね。かなりの老木のようですが、いつまでも地元の人や訪れた人の目を楽しませて欲しいものです。
きれいな色の列車で仙台を後にして、「秋田の旅」もいよいよお終いです。
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私が初めて石割桜を見たのは5月のゴールデンウィークでした。その時の写真を探すともう葉が吹き始めているので、この桜の見頃は4月後半だったのでしょうね!? 大阪より1月遅い春の訪れです。
(2006年5月)
まだ小学生の次男と三男、そして私の3人の旅の一コマ。
こんな一枚の写真を見ると、懐かしい記憶が色々蘇ります。
日付を見ると、おおよそ18年前の写真でした。
わんこそばの杯数、そりゃ減るはずだ(笑)